2012年05月01日

 春三題

 ふるさとは まなうらにあり 春怒涛

 まなうら(瞼裏)は、瞼の裏のことで、目を閉じてうかぶ映像をいう。
 ただの記憶像ではない。
 まなうら=瞼にうかぶのは、「瞼の――」ということばがあるように、情感に満ち、せつなく、いつまでも消えることがない心象風景である。
 わたしのふるさとは、三宅島で、目の前に荒々しい海があった。
 その海が、いまも、まなうらに焼き付いている。
 海といっても、ただの海ではない。
 荒波の太平洋、小さな島に押し寄せてくる波濤の海である。
 押し寄せ、砕け散り、泡立った白い波が、いくつも岩をのりこえてくる。
 そんな荒々しい海が、わたしのとって、ふるさとの原光景である。
 春怒涛は、夏怒涛、冬怒涛というように、頭に季節の名がついて、季語になる。
 岩に砕ける怒涛も、季節によって、趣が異なる。
 夏には夏の、冬には冬の、春には春の、荒海の表情がある。
 いつの季節も、海を見るたび、その情景が思いうかぶのである。

 さざれなみ 霞みて遠く 島ひとつ

 さざれ波は、細(さざれ)波で、小さな波である。
 打ち寄せる波ではなく、風に波立つ海の様子で、沖の白波も、見方によっては、さざれなみである。
 海と空だけの遠景に、小さな島が、ぽつんとうかんでいる。
 それだけの光景だが、さざれなみは、波立つ心でもある。
 三宅島の選挙をめぐって、島の村議員たちが相談にやってきた。
 その折にひねった句である。

 散りゆきて あとは若葉の 春三番

 春三番は、春一番から数えて、3番目の春の嵐で、春一番とちがい、正式な気象用語ではない。
 二十四番花信風(かしんふう)によると、小寒の三候の風で、梅や椿、水仙の開花を知らせる風という。
 花信風は、花が咲いたことを知らせる風で、春三番は、二十四節気の小寒にあたる。
 この頃をすぎると、若葉が芽を吹き、山は、若草色につつまれる。
 散ったばかりの桜の枝を見上げると、小さな若葉が芽吹いている。
 はなやかに咲いた桜花をみごとに散らせた春の嵐も、春三番になると、若葉の枝をくぐりぬけてゆくだけである。
posted by office YM at 09:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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