2013年09月05日

 猛暑二題

 禅林や 命のかぎり せみ時雨
 今年の夏の暑さは、例年にないきびしさで、連日、35度超えの猛暑日がつづいた。
 フィリピン周辺の海水温度が上がったせいで、この辺りで低気圧が発生すると、その北側の太平洋で高気圧が発達する。
 この高気圧が、日本をすっぽり包んで、各地で、観測史上最高の猛暑となった。
 記録破りの集中豪雨や竜巻などの異常気象も、そのせいで、今年の夏は、荒魂が居座り、とおりすぎていった荒ぶる夏だった。
 だが、セミの声は、例年どおりで、都心でも、炎天下、セミの合唱がうるさいほどだった。
 事務所の近くに、豊川稲荷と江戸三大祭の一つ、山王祭がおこなわれる日枝神社がある。
 八月はお休みしたが、毎週、日枝神社の境内を借りて、村上正邦元参院議員や国会議員らと座禅を組んでいる。
 豊川稲荷は、豊川市の曹洞宗妙巌寺と所縁が深い禅林で、禅林は、禅宗の寺院のことである。
 曹洞宗と臨済宗大応派を一括して、叢林とも呼ばれる。
 無念無想の禅の寺院で、セミが、いのちのかぎり鳴いている。
 セミは、一週間のはかないいのちだが、その鳴き声は、8年間の土中生活を終えた最期の雄たけびで、子孫を残したあと、虫としては長い一生を終える。
 寺院の森のセミの声が、無念無想を突き破って、夏の空へ響きわたるのである。

 空蝉が 幹に踏ん張る 生き様や
 空蝉(うつせみ)は、古語の「現人(うつしおみ)」が訛ったもので、この世に生きている人間のことである。
 転じて、現世(うつそみ)で、生きている人間の世界をいう。
 空蝉ということばには、この世も、この世を生きる人間も、セミの一生のように空しいという諦観がにじんでいる。
 山路で、木の幹にしがみついている蝉を見つけた。
 小さな体から発せられるとは思えない大音量である。
 鳴くのは、オスで、メスを呼んでいる。
 一斉に鳴くのは、そのほうが、鳥などの捕獲動物から逃れて、生き残る可能性が高いからだという。
 蝉の一生は、はかないが、生のすさまじさが凝縮されている。
 この世を空しく思うのは、人間の諦観で、世界は、あらゆる生物が、いのちのかぎり、生の賛歌をうたっている。


 
posted by office YM at 09:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。