郷土人が集まって、花見酒となった。
花見、月見、雪見の酒は、なおらい(直会)で、戴くのは御神酒、自然の風物を前にした宴は、神事である。
なかでも、花見は、桜が神木なので、いっそう、その観がつよい。
「さ」は古代のことばで「神=太陽」である。
さち(神とともにある地)
さき(神に出会える地)
さま(神ととともにある)
さかえ(神々が大勢いる)のほか――
「さあ」「さっさ」「さて」「さらに」の<さ>は、神霊感をあらわす音である。
さくらは、神(さ)の座(くら)る所で、もともと、田の御神木だった(田神降憑坐座)という。
桜が咲くと、水が温み、田打ちや籾蒔きがはじまる。
田の神様が、桜の木に花を咲かせて、その時期を知らせる。
神様のおかげで、秋には米が収穫でき、その米で酒がつくられる。
豊かに稔った米を酒に醸して、神に供える。
その御神酒をいただくのが、直会で、これが、宴会のはじまりである。
直会は、神事にくわわった一同(仲間内)で御神酒を酌み交わし、一緒に供え物を食する神事(共飲共食)で、神霊とのむすびつきをつよめることで、神霊の力を分けてもらい、加護をたのむ。
酒が「固めの盃」として、人々の結束をつよめるのも、神のちからが介在するからである。
その花見の宴から、同郷人のお国訛りが聞こえてくる。
気がつくと、じぶんも、お国訛りになっている。
今年の桜は、風や雨にたたられることなく、例年より、花が長持ちしたようである。
屋根を葺く 人の訛りを なつかしみ
屋根を葺く職人さんたちの声が、窓から、聞こえてくる。
東京弁ではなく、お国訛りだ。
語尾に「ずら」をつけるのは、長野や山梨、静岡の方言である。
わたしの出身地、三宅島の伊豆七島にも「ずら」弁が残っている。
伊豆七島は、行政区こそ東京だが、伊豆の名称が残っているとおり、文化圏は駿河の国で、ことば遣いも、現在の静岡に近い。
伊豆の遠島には、都の謀反人や罪人が配流されてきたので、都ことばも残っている。
伊豆の「かわいやのう」は、恋しい、会ってうれしい、という京のことばである。
方言には、地域内のもののほか、時代のものもある。
「ずら」が、長野や山梨、静岡など広域にわたっているのは、地域内の方言ではなく、時代の方言だからである。
そうずら、こうずら、ああずらという「ずら」の語源は「つらむ」という推量の助動詞である。
古代のひとは「そうずら」ではなく「そうつらむ」といったのである。
だら、ら、べ、も「ずら」と同様、推量の助動詞である。
だら、ら、は「だろう」で、べ(や)は「べし」である。
・明日は雨ずら
・明日は雨だら
・明日、雨降るら
・明日、雨降るべや
上の四つは、同じ意味である。
地方によって、推量の助動詞の変化形が異なって、方言となったのである。
東北、北海道の「べ(や)」も、元の形にもどすと――
明日には 雨の降るべし 雲の色
長野や山梨、静岡のずらことばも――
明日には 雨降りつらむ 雲の色
となって、とたんに、古風な大和ことばになるのである。
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