新聞の一面トップに「 民主300議席を越す勢い 」という見出しが躍っている。
リード文に「小選挙区選に271人を擁立した民主党は全体の七割強を占める200人弱が当選有力、40前後が当落線上で優位に立っている 」とある。
比例区でも、民主党は、前回衆議院選で自民党が獲得した七七議席を上回って、八〇議席にのる勢いである。
一方、自民党は、このままでは、選挙区で一〇〇議席を割り込み、比例区でも五〇議席台にとどまりそうだ。
自民党のこの凋落は、かならずしも、民主党躍進によるものではない。
国民が、小泉の郵政民営化や弱者切り捨ての新自由主義を嫌ったのだ。
わたしは、国体破壊の思想をもつ民主党も、小泉にぶっ壊された自民党も、支持しない。
というわけで、今回、東京ブロックから中村慶一郎氏が立っている国民新党の応援に駆りだされた。
連日、党の広報カーに乗って、思うところをのべさせてもらっているが、次第に声が嗄れてきて、歯がゆい思いである。
都内を回って気づいたのは、どんな小さな公園でも、蝉が鳴いていることだ。
そのけなげさに、感じ入る。
投票日の8月31日で、長かった今年の夏も終わる。
当日、蝉は、まだ、鳴いているだろうか。
初盆や 精霊蜻蛉 肩に舞う
トンボ(蜻蛉)は、亡くなったひとの精霊という伝承がある。
そこから、お盆のころにあらわれるトンボを精霊蜻蛉と書いて、秋の季語とするようになった。
若い頃から、自民党にかかわって、推薦をうけて衆議院に立候補した経験もあるわたしは、大野伴睦ほか、多くの保守系政治家と交わってきた。
多くが、物故して、すでに久しい。
かれらが生きていたら、いまの自民党の凋落を、何と思うだろう。
目の前をとおりすぎていった精霊蜻蛉が、ぽつりと、わたしの何かつぶやいたような気がする。
トンボ舞う 稲穂に波の 風にのり
最近は、数匹、みかけるだけのトンボも、子どもの頃は、野を群舞していた。
畦道から見ると、稲穂の上を数え切れないトンボが舞い、田や小川には、メダカやザリガニ、ゲンゴローが遊んでいた。
そんなところに、かならずあったのが、ポストと郵便局だった。
明治以降、日本が地方格差というハンデをひきずらずに、近代化を実現できたのは、日本中に、郵便局があったからである。
自民党が、その郵便文化を破壊して、民という私物へ貶めた。
民主党もイヤだが、郵便文化を破壊した自民党にもアイソが尽きた。
選挙戦も終盤にかかり、民主党優勢の流れがいっそうつよくなった。
政治を変えようという耳に快いスローガンが、そのまま民主支持へつながっている。
守旧派を打倒した小泉、変革を叫んだ細川・羽田政権。そして、政治を変えようとうったえた鳩山政権――。
政治が変革をもとめるたび、世の中は、悪くなる。
現実をささえているのは、変化ではなく、郵便ポストのような不変の価値だからである。
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