中秋の名月が、今年以降は、8年後の2021年まで、完全な満月にならないという。
8年後といえば、次の東京オリンピックの翌年である。
それまで、完全な満月を拝めないのなら、今年の中秋の名月が、わたしの人生の最後の中秋の満月になるやもしれぬ。
そんな思いから、井の頭池の畔の料亭の一室を借りて、一人、月見の宴をもった。
宴といっても、ささやかなものだが、小座敷の窓から井の頭池が望める。
湖面に浮かぶ名月とは、井の頭池に移った中秋の満月のことである。
漢詩風に流れたが、わが心境にぴったりで、他に言い回しが思いつかなかった。
流れゆく 湖上の月や 秋深し
流れゆくのは、井の頭池の水面に浮かぶ月影だけではない。
何もかも、流れ行き、流れ去って、ふたたび、還ることがない。
それが人生で、井伏鱒二の「さよならだけが人生さ」という詩の一節が頭にうかぶ。
原典は、中国の五言絶句で、「花に嵐のたとえもある、人生は別離ばかりだ、せいぜい、この出会いを大事に、一献傾けよう」という意味合いである。
秋には、盛りを過ぎる、終わりに向かう、時という意味がある。
湖上に浮かぶ月に、流れゆくものの哀歓を思い重ねて、秋が深い。
秋雨の 去りて夕べの そぞろ寒
女心にたとえられるように、秋の空は、変わりやすい。
朝、青い空が見えていたのに、午後から降りだすことも、その逆もある。
秋雨は、梅雨のように長くつづかないが、熱帯性低気圧や台風と合体して、大雨をもたらすことがある。
その秋雨が上がって、夕刻から、冷え込んできた。
そぞろ寒いのそぞろは、漫ろで、うそ寒いのうそは、薄である。
冬の本格的な寒さではなく、冷気をうっすらとかんじる程度である。
カーディガンを羽織って、雨雲の去った秋の夜空を見上げたのである。
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