選挙準備が順調にすすみ、テレビ出演やマスコミ関係の仕事も捗っていた。
このとき、わたしは、生涯、悔やむような災難が降ってわいてくると、想像すらしていなかった。
好事魔多しというが、順風満帆だったあの時期、事務所に訪ねてきた小杉というニセ弁護士によって、わたしの人生は、おおいに狂わされることになる。
選挙公示の数か月前、秘書の新井が、とつぜんの来客をとりついだ。
新井は、石原慎太郎の浜渦秘書とキックボクサーから暴行を受けたわたしの秘書、押切から推薦をうけた新しい秘書である。
来客は、小杉という人物で、名刺に、法律事務所代表の肩書きがあるという。
わたしは、押切から紹介された新井を信頼していたので、代わって話を聞くようにつたえた。
ところが、小杉という人物は、わたしに、直接、会って話をしたいという。
自民党の大物議員、中曽根康弘が関与する極秘案件というふれこみだった。
新井が、再度、代理で話を聞きたいと申し入れると、これを解決できるのは山本先生以外にはいないと、このとき、小杉は新井に熱弁をふるっている。
わたしを知っている口ぶりだが、わたしは、小杉という人物を知らなかった。
わたしと面識のない小杉が、なぜ、わたしに、政界の極秘案件をもちこんでくるのか。
いまから思えば、わたしは、小杉にもっと警戒心をもつべきだったかもしれない。
だが、当時は、若く、なんにたいしても自信があって、わたしにトラブルをおそれる怖気はあまりなかった。
結局、新井に面談の日時をきめさせ、その日は、小杉にお引取りねがった。
約束の当日、わたしは、品川区の大井町駅の近くの喫茶店で小杉と会った。
名刺には小杉法律事務所の代表とあって、住所は、渋谷区の恵比寿だった。
小杉は「大橋事件(京成電鉄の株不正取引事件)」の首謀者、大橋富重の会社整理をしているという。
大橋事件というのは、池田首相の側近、黒金泰美官房長官を巻きこんで世を騒がした「吹原産業事件(昭和40年)」につづいておきた株の不正取引事件である。
経緯をのべたあと、小杉は、おもむろに、1通のコピーをとりだした。
「大橋の未整理書類のなかからこんなものがでてきました」
みると、中曽根が児玉から5億円を受領したとする領収書のコピーだった。
昭和39年の自民党総裁選挙は3選をめざす池田勇人とこれを阻止しようとする佐藤栄作が激突して、当時のカネで100億円以上がうごいたといわれる史上もっともカネに汚れた総裁選挙となった。
このとき、おきたのが「吹原産業事件」で、フィクサーの吹原弘宣や闇金融王の森脇将光らが暗躍した。
「大橋事件」でも、大野伴睦や河野一郎、児玉誉士夫などの有力政治家や黒幕の名前が取りざたされた。
児玉は、黒金念書が問題となった吹原産業事件で、検察側証人として法廷に立っている。
そして、大橋の未整理書類のなかから中曽根が児玉から5億円をうけとったとする「中曽根領収書」がでてきた。
ジャーナリストならとびつきたくなるネタだが、わたしには次期衆院選挙という関門がひかえている。
うかつにうごいて、ドロをかぶると選挙にさしつかえる。
わたしは、協力を断って、マスコミに情報提供することをすすめた。
領収書の真偽が不明なことと、扱いを誤ると恐喝事件にみなされる可能性がでてくるからだった。
マスコミを一枚かませておけば、二重の意味で、安全弁になる。
このとき、小杉は、意外なことを口にした。
「先生は大橋さんと面識ありますね」
たしかに、わたしは、大橋と会ったことがある。
大橋は、静岡県長岡で長岡カントリークラブというゴルフ場とホテルを経営する実業家で、わたしは、同ゴルフ場の会員権をもち、年に何度かプレーしていた。
ただそれだけの関係だが、大橋が事件をおこしたのち会員権の値が下がって多少、迷惑をこうむった。
その日、わたしは、領収書のコピーを預かり、後日、マスコミ関係者とともに小杉の事務所を訪ねる約束をして、別れた。
小杉と再会を約したのは、マスコミを一枚かませて、裏をとるという提案をうけいれさせた以上、つっぱねるわけにいかなかったからである。
わたしは、朝日新聞社会部のAと、共同通信編集委員のBを赤坂の事務所に呼んで、対策を練ったが、問題は、領収書の真偽だった。
本物なら大スキャンダルだが、ニセ物なら「有印私文書変造罪」になる。
ニセ領収書が恐喝などの犯罪にふれる可能性があれば、かかわりにならないにこしたことはない。
ただ、朝日のAも共同通信のBも、事件性にはつよい関心をもった。
3人で話しあった結果、小杉法律事務所を徹底的に取材して、領収書が本物という確信がとれたら、わたしが記事を書き、朝日や共同通信が報道や配信にうごくという合意にたっした。
朝日のAと共同通信のB、そして、わたしの3人は、恵比寿の小杉法律事務所を訪ねた。
ドアには「小杉法律事務所」と書かれ、弁護士3名の名が記されていた。
わたしは、法律事務所の代表である小杉を弁護士と思いこんでいる。
そうでなければ、わたしは、この手の事件に首をつっこまなかった。
取材は難航した。小杉や小杉の同僚らは、大橋の事務所から運び込んできた書類の山から領収書がでてきた経緯を説明したが、裏づけとなる資料や関連の材料はなにもでてこなかった。
その後、3人は、二度、小杉法律事務所へ足を運んで、書類を丹念に調べたが、中曽根領収書に関連づけられる決定的な資料はみつからなかった。
特ダネとなる情報は、かならず裏づけがあって、エピソードやストーリーをもっている。
たんに領収書や覚書が存在しても、それが、どういう性格のもので、だれの手をへたものかなどの物語性が明らかにならなければ、記事にもならず、世に出すこともできない。
わたしは、このころから、ドキュメンタリー本や雑誌の執筆をはじめているが、一度も、事実誤認や名誉棄損などのトラブルをおこしたことはない。
事実関係の報道について、臆病なほど慎重で、その代わり、確証がえられたらズバリと斬りこむスタイルをまもってきたせいと思っている。
●恩田貢(週刊文春元記者)の策謀
わたしの事務所に、週刊誌や月刊誌、政・経・財界誌のライターや編集者がやってくるのは、昔も今も同じで、なかには、何十年の付き合いのひとたちもいる。
わたしの事務所から世に出た大事件も少なくないが、いずれ、ふれるつもりである。
恩田もわたしの事務所の常連だったが、当時は、文春を退社して、トップ屋として売り出し中であった。
その恩田がやってきて、「中曽根領収書」を見せろという。
この事件で、いまだわからないことが、2つある。
1つは、なぜ、小杉がわたしのもとへ「中曽根領収書」をもちこんだのか。
そして、もう一つが、なぜ、恩田が、わたしの事務所に「中曽根領収書」があることを知っていたのか、である。
わたしは、すでに、朝日のAと共同通信のBをパートナーにしている。
したがって、二人に断りなく、恩田を仲間に入れるわけにはいかなかった。
恩田には断ったが、恩田は、その後も電話をかけてくるなど執拗だった。
ある日、赤坂の事務所に大勢の新聞記者が押しかけて来た。
警視庁記者クラブの新聞記者で、一様に「中曽根領収書」について、質問を浴びせてくる。
これで、わからないことが1つふえた。
新聞記者は、なぜ「中曽根領収書」がわたしの事務所にあると知っているのか。
もっとも、この謎は、すぐに解けた。
恩田が、中曽根事務所の上和田秘書に「中曽根領収書」のてん末をつたえていたのである。
中曽根事務所の上和田秘書から訴えをうけた警視庁の動きは迅速だった。
即日、小杉法律事務所に捜査に入り、小杉と共犯者らを逮捕している。
「中曽根領収書」は、案の定、偽造だったのである。
警視庁の番記者が、このとき、大挙して、わたしの事務所におしかけてきたのは、警視庁のリークで、記者らにわたし事務所の住所を流したのである。
わたしは、このとき、迷惑がかかることをおそれて、朝日のAや共同通信のBの名をだしていない。
小杉の名前を伏せたのも、記者団に経緯を話す前に、小杉の了解をえようと思ったからだったが、これが裏目にでた。
翌日の新聞各紙には、わたしが「中曽根領収証」の偽造犯として報道されていた。
「山本峯章 公認欲しさに偽造」という捏造記事まである。
政治評論家で私の親しい戸川猪佐武の談話となっている。
わたしが戸川に電話で真意を問いただすと、戸川は「いやそうじゃないんだよ」「山本君どうしたんだろう。公認の件でも絡んでいるのかなあ」と独り言をいっただけだと苦しい言い訳をした。
だが、いったん記事になってしまえば、いくら地団駄を踏んでも後の祭りである。
わたしは、警視庁に電話をかけて、事実関係をつたえた。
朝日新聞と共同通信と共同取材して、どこから、偽造疑惑がでてくるだろう。
新聞は、小杉逮捕を報じたが、わたしを「中曽根領収証」の偽造犯と報じた誤報の訂正記事は、朝日新聞以外、載らなかった。
朝日が「中曽根領収書偽造事件には山本峯章は関係なかった」と訂正記事をのせたのは、朝日新聞社会部のAが関与していたからであろう。
しかし、社会面の片隅の二行の訂正記事ではだれも気がつかない。
わたしが新聞の誤報で大きなダメージをうけたのは、これだけではない。
朝日新聞は「橋梁談合」の仲介に立ったわたしを「山本、明日、逮捕か」と大誤報するのだが、このときは、二行の訂正記事すらださなかった。
この件については、後日、詳細をのべよう。
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