2020年08月10日

 わが青春譜22

 ●「日商岩井にソ連のスパイと告発電話」
 わたしの「グラマン事件」は、ある日とつぜん、わたしの事務所にかかってきた一本の電話からはじまった。
 わたしの事務所には、当時、大勢のマスコミ関係者がやってきた。
 多くが情報をもとめてのことだが、逆に、重要な情報がもちこまれることもあった。
 電話で、要旨だけを短くつたえるケースが大半で、多くは、匿名だった。
 件の告発電話も、氏名は名乗らなかったが、論旨のほうは明快だった。
「赤坂にある日商岩井という商社をご存知のことと思う。この商社にはソ連のスパイがいる。次期戦闘機がF―15にきまった場合、関係書類がソ連の手に渡る可能性がある。国防上、由々しき問題である。あなたの手で、この疑惑を解明してもらいたい」
 わたしは、政治評論と保守思想をテーマにしているので、反共と国家防衛という問題意識をもつ一般の方々から、しばしば、意見や情報が寄せられる。
 米ソ冷戦のさなか、ソ連は、わが国にとって「仮想敵国」であった。
 告発者が指摘するように、次期戦闘機にかかる情報がソ連に漏洩するようなことになれば大問題である。
 だが、この告発には、もう一つ、大きな問題をはらんでいた。
 昭和51年2月4日、米上院多国籍企業小委員会の公聴会でロッキード疑惑が浮上して、民間旅客機をめぐる日米商戦の裏舞台が明るみにでた。
 田中角栄元首相ら政治家や丸紅、全日空の幹部ら16人が逮捕、起訴されたかのロッキード事件である。
 そして、3年後の昭和53年12月25日、米証券取引委員会(SEC)でMD社(マクドネル・ダグラス)が自社戦闘機の売込みのため、日本政府高官に1万5000ドルの賄賂を渡していた事実が暴かれた。
 昭和54年1月4日、SECは、こんどは、グラマン社が自社の早期警戒機(E-2C)の売込みのため、代理店の日商岩井を介して、日本の政府高官(岸信介・福田赳夫・中曽根康弘・松野頼三)らに不正な資金を渡したことを告発した。
 SECに資料提供を要請して、捜査を開始した東京地検特捜部は、日商岩井の幹部2人と海部八郎副社長を逮捕して、捜査がさらに政治家におよぶかどうかが焦点になってきた。
 ところが、検察は「時効、職務権限の壁に阻まれて政治家の刑事責任追及が困難になった」としてとつぜん捜査を終了、日商岩井の関係者3人を起訴するにとどまった。
 これは、ロッキード事件と比較して、異様なことといわねばならない。
 ロッキード事件では、田中角栄元首相のほか、丸紅や全日空の幹部ら16人が受託収賄、贈賄などの罪で起訴されている。
 そして、丸紅の檜山広元社長ら幹部3人は、田中元首相にたいする5億円の資金提供に関与したとして、95年2月に最高裁で有罪が言い渡された。
 一方、ダグラス・グラマン事件は、ロッキード事件と同じ内容の容疑だったにもかかわらず、検察は、岸元首相ら政治家に事情聴取さえしていない。
 海部は、F―4の売込みにたいする成功報酬として松野に5億円を支払ったと明言している。
 松野も5億円の授受をみとめる一方、日商岩井からの政治献金だったと主張して検察の追及をかわしている。
 わたしは、十数年前、田中角栄元首相の元秘書官だった榎本敏夫さんを訪ねて、直接、こんなことばを聞いている。
「わたしは、丸紅から政治献金として、5億円をうけとったとなんども検察に申し上げたのですが、そのたび、はぐらかされて、ついに、ロッキード社からの賄賂と筋書きにされてしまったのです」
 松野の5億円が追及されず、角栄の5億円が問題にされたのは、検察が名をあげるためには、角栄のビッグネームが必要だったからである。
 以後、検事総長人脈は、伊藤栄樹から吉永祐介、原田明夫、松尾邦弘らにつながるロッキード派≠ェ主流となってゆく。
 当時の新聞報道は、ロッキード疑惑一色に塗りつぶされて、ダグラス・グラマン事件は、忘れ去られたも同然だった。
 だが、事件性は、グラマン事件のほうがはるかに高い。
 なにしろ、田中角栄は、ロッキード社から賄賂をとっていないからである。

 ●「グラマン事件」の検察側の冒頭陳述
 グラマン事件の核心となるのが「海部メモ」である。
 日商岩井の海部八郎が作成したもので、岸信介前総理と中村秘書、海部らの話し合いによって、ファントム導入がきまったこと、そして、口きき料として岸に2万ドルが支払われたことなどが書かれている。
 昭和54年10月12日、東京地方裁判所でおこなわれた日商岩井不正事件(グラマン事件)にたいする検察側の冒頭陳述の一節に次のくだりがある。
「(前略)同53年1月ごろ 恩田(「国会タイムズ」)は有森(日商岩井航空機部課長代理)から受け取っていた右書面及び送金依頼のコピーを知人で各種団体の役員をしている山本峯章に手渡し、山本は更に知人の団体役員鈴木孝司に手渡し、鈴木は同年二月頃右コピーを新聞社等に郵送した。(後略)」
グラマン事件の解明の発端となった「海部メモ」が世間に公表された経緯がこれで、冒頭陳述には「海部メモのコピーが巷間に流布された経緯について」という但し書きがついている。
 2月14日、 衆議院予算委員会で、日商岩井の植田三男社長、海部八郎副社長、有森国雄航空課長らの証人喚問がおこなわれたが、このとき、手が震えて字が書けない海部の様子がテレビ中継された。
 海部は「記憶にない」の答弁をくり返して、政府高官への金銭支払い疑惑を否定したが、うごかぬ証拠となったのが「海部メモ」だった。
 海部逮捕の報をうけた伊藤栄樹法務省刑事局長(後の検事総長)は、「捜査の要諦はすべからく、小さな悪をすくい取るだけでなく、巨悪を取り逃がさないことにある」とのべたが、その舌の根も乾かぬうち「時効、職務権限のカベにはばまれて政治家の刑事責任追及は断念」と、日商岩井関係者3人を起訴しただけで、ダグラス・グラマン事件の幕を引いたのは前述したとおりである。

 ●有力だった日商岩井のF15
 電話通報者のいうとおり、日本の主力戦闘機ロッキードF―4ファントムは数年内に寿命がくる。
 54年から新しい戦闘機を導入しなければならなかった。
 したがって、52年度の予算に計上されていなければならない。
 FX選定のタイムリミットは52年8月である。
 ちなみに、FXのFは、ファイター、戦闘機の頭文字で、Xは未来を表わす。
 FX選定とは、戦闘機が未定ということで、グラマン事件は、民間機のロッキード事件につづいておきたFX疑惑≠ナある。
 防衛庁は、第三次FX候補機として、グラマン社のF14、マクダネル・ダグラス社のF15、ゼネラル・ダイナミクス社のF16の三機種に絞ることを決定した。
 8月にはこの3機種のなかから最終的な選定が行われる予定であった。
 3機種のなかで、日商岩井が代理店契約しているF15が有力視されていることは衆目の一致するところであった。
 電話通報者の告発が真実なら、ソ連スパイの狙いはF15関連の情報入手ということになるであろう。
 日商岩井をとおして、F15の機種マニュアルや修理教本がソ連のスパイの手に渡ると大きな国益損失となる。


 ●ソ連のスパイはだれか
「ダグラス・グラマン事件」を別の角度から追った拙著「国益を無視してまで商売か」(1980年/日新報道)に「日商岩井に暗躍するソ連のスパイ〜おそるべきソ連の対日スパイ戦略の実態」という項立てがある。
 日本には、昔も今も、スパイ罪も国家反逆罪もない。
 国家機密を盗んで外国に売っても、窃盗罪にしかならない日本で、スパイを封じて、国益をまもることはむずかしい。
 当時、わたしは、ソ連のスパイを特定して、そのスパイ網を根こそぎにするという意図をもって、取材をすすめた。
 やがて、一人のロシア人がうかびあがった。
 赤坂の日商岩井ビルにオフィスをもつ男で、高輪のアパートからオフィスに出勤したのち、赤坂のオフィスから狸穴のソ連大使館に出かけて、終日、大使館で過ごしている。
 大使館員に準ずる立場にあるにちがいなかったが、公職の登録はなかった。
 男の本名は、ユーリ・マキシモビッチ・レービンで、モスクワ生まれの39才だった。
 モスクワのエネルギー大学を卒業後、工業省、電子機械工業大学に1970年まで勤務したのち、2年間、東京工業大学工学部電子工学科に留学している。
 その後、外国貿易省、全ソ貴金属輸出公団をへて、ソ連国家科学技術委員会に移って、1974年9月、同委員会から日本に派遣されている。
 レービンが日本に来たのは、ソ連国家科学技術委員会と日商岩井らによって締結された「科学技術協定」にもとづくもので、電子工学の専門家というふれこみだった。
 レービンの住所は、港区高輪伊皿子坂アパートで、高輪のアパートから日商岩井ビル内のオフィスに午前10時頃出社、30分から一時間後、狸穴のソ連大使館に出かけるのが日課だった。

 ●日商岩井の不誠実な対応
 電話通報者のいうソ連のスパイがレービンであることに疑いはなかった。
 あとは、日商岩井に、直接、事実関係を問いただすだけである。
 わたしは、日商岩井本社で、井上潔常務と山崎秀之開発部副本部長に面会をもとめて質した。
 以下、質問者はわたしで、返答者は山崎本部長である。
 質問 レービン氏が来日した目的は?
 返答 術協力のための技術員を交換で、ソ連が送ってきたのがレービンです。
 質問 身分は?
 返答 ソ連の大使館員でも通商部員でもなく、あくまでも、日商岩井の仕事をするためです。ソ連と科学技術協定をむすんだ13社に駐在するという条件がついているので、日商岩井のビルにデスクをもっています。
 質問 国家科学技術委員会との技術協定というのは?
 返答 1973年の「日ソ科学技術協力協定」にもとづくものでソ連科学技術委員会は、閣僚委に直結しています。
 質問 10時に出勤したレービンが、30分から1時間後、狸穴のソ連大使館に行ってしまうのはなぜか。
 返答 ソ連大使館へは日商岩井の用件で行っている。それが法にふれるという物的証拠があれば、日ソ関係がおかしくなるので、法務省でチェックしてもらう。
 質問 ソ連からやってくる人間は、大なり小なりエージェントといわれている。
 返答 それはまあ、そういう要素もあるでしょう。
 質問 レービン氏もエージェントといわれている。
 返答 それは知りません。
 質問 FXの有力商社として、スパイの嫌疑をうけるような人物を受け入れるのは問題ではないか。
 返答 われわれはむこう(ソ連)からもらった資料から判断している。そんなことをいいだしたらなにもできません。
 最後に、わたしは、もっとも気になるテーマにふれた。
 質問 ソ連の極東方面の第一線の戦闘機は「ミグ21フィシュペッド」だった。これなら自衛隊の「F4EJファントム」で十分、対抗できる。ところが、最近、ソ連は「ミグ25フォックスバット」を飛ばしている。マッハ3のミグ25には、F4ファントムやF14(トムキャット)、F15(イーグル)でも対抗できない。ミグ25に対抗できるのは「ファイヤー・コントロール・システム」だけである。ソ連が最終的に欲しいのはFCS装置のデータと思われる。レービン氏が電子工学の専門家であるなら、われわれはこの点で納得いくのですが。
 返答 わたしたちはFCS装置についてなにも知らない。
 質問 われわれが調査して、スパイ行為の確証をつかめたらレービン氏の国外退去に同意してもらえますか。
 返答 むずかしい問題だ。外務省できめる大使館員の人数には、制限があるので、ソ連の場合、各商社にさまざまな形で人材を派遣している。うちだけではなく、各商社も、一人や二人、ソ連から人材をうけいれています。

  以上が会見内容の抜粋で、ここから、国家防衛にたいする危機意識はみじんもかんじることはできなかった。
 その数日後、国会院内紙「国会タイムズ」が特集記事を組んだ。
 ▼FX商戦の影にソ連のスパイ工作員
 ▼総合商社に疑惑の人物
 ▼自衛隊調査隊、CIAもマーク
 軍事評論家の小名孝雄も「あり得ることだ」と指摘して、FX選定問題こそわが国の国防基本方針を左右する大問題と断じた。
 それ以後も、国会タイムズは、日商岩井をとりあげて、糾弾した。
 ▼FX商戦にひそむ電子工学の専門家 技術提携でソ連から来日
 ▼狙いはアメリカの「FCS装置」か
 ところが、当時は、ロッキード事件の報道が過熱して「ダグラス・グラマン事件」も日商岩井の「スパイ疑惑」も片隅においやられた。
 わたしたちは、日商岩井に、再度、調査をもとめたが、誠意ある返答はえられなかった。
「他の商社にもエージェントはいる。日商だけではない」
 言い逃れるだけで、スパイ行為や機密漏洩にたいする危機意識はなかった。
 わたしたちは、日商岩井から新たな情報を入手すべく、さらに、四方八方にアンテナをはりめぐらせた。(続)



posted by office YM at 10:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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