2012年01月23日

 冬の月三題

 寒々と ただ寒々と 寒の月 

 よく知られた句に、「松島や ああ松島や 松島」やがある。
 これが名句とされるのは、ことばではなく、詠嘆の気分で、みごとに、松島の情景を詠んだからであろう。
 この句は、芭蕉の作といわれてきたが、実際は、江戸時代の狂歌師・田原坊がつくったもので、原句は、「松嶋やさてまつしまや松嶋や」という。
 わたしが寒の月を詠んだのは、いまから半世紀も前のことで、当時、わたしは、復刊された日本及び日本人という雑誌の編集にたずさわっていた。
 日本及び日本人の常連執筆者がひらいた句会に呼ばれ、一句詠むようにすすめられて、苦し紛れにひねったのが、この句で、芭蕉の作とされてきた名句を模したわけではない。
 一笑に付されるかと思ったが、アララギ派の歌人でもあった主催者に励まされ、大いに恐縮した。
 以後、俳句に馴染むようになったが、いまだに、名句をものにできない。

 逝き人を 偲ぶる夜半や 冬の月

 当時の存命者は、ほとんどいなくなって、思い出話をする機会もなくなった。
 冴え冴えとした冬の月が、そんな侘しさと重なった。

 月読の 寒々おわす 荒野かな 

 月読命(つくよみ)命は、伊邪那伎(いざなぎ)命によって生み出された月の神で、天照(あまてらす)大御神の弟神、素戔嗚(たけはやすさのお)尊の兄神にあたる。
 伊邪那伎命は、天照大御神に天上界を、素戔嗚尊に海の世界を、月読尊に夜の世界を治めるように命じたと神話にある。
「月読」は月を数えることで、月齢を読むということばがあるとおり、時間軸の神である。
 古代の人々は、夜と過去を重ねあわせて、月を見上げたのであろう。
 冬の月に照らし出された荒野が連想された。
 あの大震災から、そろそろ、一年がたとうとしている。
 復旧の足取りは、遅々として、すすまない。
 月読命が、夜空で、呆れているように思える。


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2011年12月04日

 熊野古道を歩く

 
 まほろばの 熊野古道の けわしきを
    古(いにしえ)人と なりて歩むや
 

 過日、村上正邦元参院議員と下村博文衆院議員のお二方と連れ立って、晩秋の「熊野古道」を歩いた。
 熊野古道は、世界遺産に登録されたばかりなので、賑わっていると予想していたが、案外、閑散として、三人三様、マイペースで、世界遺産の道を堪能できた。
 コースは、中辺路の一部で、牛馬童子から近露王子までの1・5km足らずの距離である。
 30分ほどで歩けるが、山道になれていないひとには、起伏があるので、難儀だったかもしれない。
 熊野古道は、紀伊路・小辺路・中辺路・大辺路・伊勢路の五道があり、どの道も、全長が100kmのスケールで、三重、奈良、和歌山の3県にまたがっている。
 熊野古道は、熊野三山から伊勢神宮へつづく道で、神仏習合の「熊野三山」、密教の「高野山」、修験道の「吉野・大峯」を縫うようにのびている。
 古道の周辺は、平安時代から、三大浄土と呼ばれてきた。
 この三つの聖地へむかう参詣道が、熊野古道である。
 千年以上にわたって、信心深い市井の人々、修験者、白川上皇らが歩いた道からは、やはり、霊性がかんじられる。 
 
 木漏れ日も 神の御手なる 古道かな


 熊野古道が、世界遺産になったのは、自然が美しいからでも、建物に由緒があるからでもない。
 千年以上にわたって、庶民の信仰と一体化してきた熊野の森や山岳が「文化的景観」にあたるというのである。
 文化的景観というのは「自然と人間の営みが長い歴史をかけてつくりあげた風景」のことで、信仰の対象となってきた山々や森、自然の風物をはじめ、昔から、人々の信仰の対象になってきた「霊山」や「神木」も、文化的景観である。
 神々しくかんじられる木漏れ日も、文化的景観であろうか。
 日本人は、信仰心が乏しいといわれるが、信仰の対象が世界遺産になったケースは、あまり例がないという。
 熊野の世界遺産登録は、日本人の信心深さにたいする顕彰と考えるべきだろう。
 
 那智の滝 行者のすがた あらねども


 世界遺産の一部として登録された那智滝(一の滝)の落差(133m)は、日本で12位だが、一段の滝の落差としては、日本一で、華厳滝、袋田の滝とともに、日本の三名瀑に数えられている。
 一気に落下する水流は、途中で、強風になぶられると、霧状になって散る。
 行者が、滝に打たれるシーンは、映像では目にするが、実際に見たことはない。
 行者の滝打ちは、ただの苦行ではなく、滝の霊性を浴していたのかもしれない。
 
 秋の空 青に染まらず 雲一つ

 ひつそりと 子守柿の 彩冴えて


 熊野古道は、周囲に森が多いので、晩秋の気配がいっそうつよくかんじられる。
 杉の葉は黒ずみ、冬枯れにむかう藪や繁みも、モノトーンだ。
 木々をぬってくる風も冷たい。
 見上げると、空は明るく、大きな雲がうかんでいる。
 熊野古道には、もういちど来ようと思うが、春はどうであろうか。
 新緑につつまれた古道には、路傍に、どんな花が咲くであろうか。
 
 秋夕焼 たちまち暮れて 夜寒かな


 夕焼けは、夏の季語で、暮れなずむ。
 一方、秋夕焼(あきゆやけ)は、秋の季語で、赤く染まった空が、一気に闇につつまれる風情である。
 とくに、山中では、赤い空から目を離したとたん、周囲が闇につつまれている。
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2011年08月31日

 夏風情二題

 夏空や 子らが戯る 作り雨 

 作り雨は、屋根などから水を流して、雨が降っているように見せかける演出で、江戸時代は、これが商売になったという。
 寒さは、厚着や暖をとって、しのげるが、暑さは、手に負えない。
 そこで、団扇や扇子、打ち水や作り雨、日除け簾や風通しのよい日本家屋のような習俗や文化が生じた。
 よくおこなわれたのが、打ち水で、昔は、盛夏の夕暮れ、各家が、いっせいに、柄杓で道路に水を打ったものである。
 舗装された道路は、水分を吸わないので、打ち水が利かない。
 現代のヒートアイランド現象では、真夏の太陽熱が、アスファルトやビルのコンクリートの輻射熱となって、都市部が「熱の島」になる。
 子どもたちの水遊びも、打ち水に並ぶ夏の風物詩で、夏の青い空の下、ホースの雨がきらきらして、涼しげなのである。

 山道に 落し文あり 夏木立

 落し文は、オトシブミ(甲虫目)の卵を包んだ葉のゆりかごで、形が、巻物の書状に似ているので、この名がある。
 オトシブミの成虫は、クリ・クヌギ・ナラなどの葉を巻いてゆりかごをつくり、なかに卵を一個ずつ生みつけて、地面に切り落とす。
 幼虫は、地面に落ちた「ゆりかご」のなかで、その葉を食べて育つ。
 なんとも、よくできた生態だが、山中で目にすると、おやと思う。
 巻き紙の文を思わせるのである。
 落し文は、示し合わせた場所に文を落としておく密書や恋文のことである。
 これは、大人の感覚だが、昔、里の子らは「からすのお土産」「スズメのお土産」と呼んだという。
 ほかに、「鴬の落し文」「時鳥の落し文」という呼び名もある。
 人里から遠く離れた山中の落し文なので、鳥のしわざとしたのであろう。
 真夏でも、山は、風が涼しい。
 山の土は、水分をたっぷり吸っているので、さわるとひんやりしている。
 ヒートアイランドの都会にくらべて、山は、いかに、自然の情趣と生命にみちあふれていることか。
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2011年08月22日

 晩夏二題

 空蝉や 木漏れ日あびて 果てにけり

 セミは「地中7年、地上7日」と言われる。
 幼虫で、7年間を土中で過ごし、成虫になって、7日間を地上で過ごすのではないらしい。
 木の枝に産みつけられた卵が、一年後、羽化して、幹を這って、地面に潜るまでが幼虫で、成虫は、地中で、木の根の樹液を吸いながら7年間を過ごす。
 それでは、蝉にとって、地上の7日は、何にあたるのか。
 成婚期だという。
 この時期、オスは、腹弁を使って、ありったけの声で、メスを呼ぶ。
 メスの腹には、すでに卵ができていて、一回の交尾で受精、卵をそのまま、木の枝に産み付ける。
 7日間で、相手探しから交尾、出産を終えて、蝉たちは、命を終える。
 空蝉は、蝉の脱け殻のことだが、転じて、生きている人間(うつしおみ)や現世(うつそみ)をさすようになった。
 人生は、蝉の抜け殻のように、はかないというわけだろう。
 今年は、蝉が多かったのか、死骸をよくみかける。
 真夏の午後、ようやく日が傾いた庭先で、一匹の蝉が息絶えている。
 この蝉は、首尾よく、子孫を残せたのであろうか。
 蝉のあわただしい時間と人間のゆったりした時間が、庭先の木漏れ日のなかで、ふれあっている。
 心なしか、聞こえてくる蝉の鳴く声に、勢いがなくなってきた。
 夏も終わりで、秋の長雨予報がでている。
 長雨のあと、秋風が吹きはじめるだろう。

 盆踊り 友も輪に入る 帰郷かな

 帰郷して、盆踊り見物に誘われる。
 やぐら太鼓に吊り提灯、屋台の夜店は、昔と変わらない。
 見ると、幼馴染みが、浴衣姿で、輪に入っている。
 盆踊りは、盂蘭盆に、死者を供養するために踊る仏教行事で、平安時代にはじまったという。
 昔は、旧暦の7月15日に行われたので、盆踊りの夜は、空に満月がかかっていたらしい。
 死者を供養する行事にしては、抹香臭くなく、夏という季節柄、むしろ、陽気である。
 夏祭り、秋祭りと重なって、収穫祭のおもむきすらある。
 日本は、社(土地の神)稷(五穀の神)社会で、国が、下からもちあがって、できあがった。
 先に、絶対王権があった西洋とはちがって、日本は、人々の暮らす村落が先にでき、権力構造は、そのあとつくられたのである。
 夏祭りや盆踊りは、日本が社稷社会だった名残りである。
 社稷社会の頂点に立ったのが天皇で、天皇は、いまなお、社稷に、祈りを捧げておられる。
 盆踊りや夏祭りが盛んなうちは、日本は、昔の日本なのである。
 噴火災害に見舞われたわがふるさと、三宅島も、徐々に、昔の面影をとりもどしつつある。
 見上げると、吊り提灯のむこうに、大きな月がかかっている。

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2011年08月02日

 夏二題

 往来の 人声たえて 夕端居 

 端居(はしい)は、縁側に出て、涼をとることで、夕端居は、夕涼みである。
 端は、人間界を離れて、自然界にふれる場所でもあって、庭に面した縁側も端である。
 縁で涼んでいると、今年は遅いと思っていた蝉の声が聞こえてきた。
 蝉は、一生のうち、99%以上を土中で過ごし、地上にでてきて、鳴くのは最後の1%以下(20日前後)である。
 それだけに、蝉の声には、一途なものがある。
 蝉の声とともに夏に入る。
 空には入道雲がかかっている。

 さざれなみ なぎさに白き 夏来る

 さざれなみは、細波で、さざなみ(漣・小波)ともいう。
 季語ではないが、夏には、小波の立つ海面に太陽が反射して、まばゆい。
 正月(冬)や彼岸(春・秋)は、季節の節目だが、夏は、過ぎ去った歳月の節目で、終戦の夏から、65年がたった。
 十一年前、「さざれ石の巌となりて」の国歌は非科学的というばかげた議論がおきた。
 いまなら、だれも、耳を貸さないだろう。
 日本は、ずいぶん、かわった。
 インターネットの普及で、大新聞による言論操作が通用しなくなったせいだろう。
 かわったのは日本だけではない。
 中国では、高速鉄道事件の遺族がはげしい抗議行動がおこし、温家宝首相が謝罪した。
 天安門事件の二十二年前とは、隔世の感がある。
 国の内外で、さざなみが立っている。
 さざなみは、小さな争い事にたとえられる。
 夏の海を見ながら、国家の難事を思うのである。


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2011年06月24日

 梅雨三題

 一輪の 花も霞みて 梅雨の朝

 庭の花々も、梅雨の下では、ひっそりと咲く。
 朝露に濡れて、水玉をのせているバラの花弁も、優雅だ。
 朝、おきて庭へ目をやると、樹木や草花が雨に打たれている。
 花の色が、ぼかしたように淡い。
 雨に濡れる花の色に、しばし、目を奪われたのである。
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2011年05月13日

 連休二題

 冴え返る さくらの花の 散りてなほ
 冴え返るは、春になって緩んだ寒さが、ぶり返すことで、さくらの花が咲く四月が花冷えなら、冴え返るは、さくらが散った4月末から5月初旬の、季節の風情である。
 俳句では、寒さのぶり返しだが、一般的には、光や音などが際立つこと、いったん衰えたものが盛り返すこと、頭の冴えが殊更なかんじをいう。
 桜の並木道を歩いて、数週間前、満開だった花のにぎわいが目ににうかんだ。
 その桜が散って、いまは、梢のあいだから、青い空が見えている。
 桜は、咲いても花、散りても花で、散ってゆく花も、見事である。
 そして、すっかり花が散った枝にむこうに、いまは、空が見え、小寒い風が吹いている。
 五月の青空が、妙に、冴え冴えとかんじられたのである。

 
 連休や たけのこ飯で 故郷偲ぶ
 連休も、季節をあらわしているので、季語であろうか。
 だが、語感に、風情はない。
 一方、たけのこ飯は、よく使われる季語で、季節感がゆたかだ。
 二つあわせたのが、わたしのたけのこ飯で、台所に立つのも、正月休みと連休だけである。
 わたしの故郷、三宅島で、タケノコといえば、ノダケで、その時期が終わると、ニガッタケである。
 ノダケもニガッタケも、孟宗竹のたけのこより小振りだが、味は、遜色がない。
 ノダケは、天ぷらが絶品で、やや苦味のあるニガッタケは、酢味噌和えや煮物が旨い。
 だが、たけのこ飯には、かなわない。
 たけのこ飯は、わたしにとって、季節の味というより、故郷の味である。
 故郷に、すでに、父母はなく、最近は、でかけることも、まれになった。
 こんどいくときは、ノダケのたけのこ飯を戴くことにしよう。
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2011年04月13日

 春二題

 春愁に 思郷かさねて 海光る

 ものみなすべてが、生を謳歌している春に、なんとなくわびしく、気持ちがふさぐ。
 春愁は、女性の感傷や若者の悩みを意味することばだが、老いの境地では、思郷につながる。
 わが故郷は、三宅島で、海を見ると、ふるさとが思いうかぶ。
 思郷は、望郷のことだが、若かった日々への想いもふくまれる。
 わが青春時代の情熱と奮闘、そして、失意と蹉跌の日々――。
 春が華やかなほど、愁い沈む気分が、わいてくるのである。

 木々芽吹き 澄みわたる空 雲光る

 木々の芽吹きと、澄みわたる空も、一つのコントラストで、前者が青春なら、後者は、壮年、老境であろう。
 空(そら)は空(くう)でもあって、無につうじる。
 若い時代は、すべて、実や有で、空も無も、目にはいらない。
 だが、老境にさしかかると、空や無のなかに、みつかるものがでてくる。
 若かったあの頃、いまの冷静さ、知恵があったらと、悔やまれる。
 だが、過去は、帰ってこない。
 そんなことを思いながら、青い空にうかんだ白い雲を見上げているのである。
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2011年04月11日

 桜三題

 被災地へ 桜前線 近づきぬ

 桜前線が、関東を通過して、東北へむかった。
 被災地でも、やがて、桜が満開になるだろう。
 日本国中に、支援の輪がひろがっているが、政府の被災者救援は、いっこうに捗っていない。
 悲惨な被災地に咲く桜が、なんとも、むなしい。
  
 咲きながら 散るにまかせる 夢一夜


 桜は、咲きながら、散ってゆく。
 潔いとも、はかないともいえるが、人生も、咲きながら散る桜のようなものである。
 競い咲き、いまを盛りの桜も、やがて、春風に散ってゆく。
 よろこびもかなしみも、一夜の夢なのである、
 
 散る花を 見たさに寄りし 風の日に

 満開の桜は、みごとだが、散りゆく桜にも、風情がある。
 散りざまが美しいのは、数ある花のなかで、桜だけである。
 日本人が、桜を愛するのは、春の風に散ってゆくすがたに趣があるからであろう。
 花が散って、やがて、葉桜になるころ、野山や庭園で、いっせいに芽吹きはじまる。
 散る桜に、春のきざしが、みなぎっているのである。
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2011年03月28日

 想い三題

 舞姫や 雪のみやこで 艶に酔う

 二月、厳冬の祇園で、一夜、遊んだ。
 折りしも、雪で、夜の花街にも、白いものが舞っている。
 窓の外が、闇と雪のモノトーンだけに、いっそう、舞妓のすがたが目に艶やかだ。
 夜の雪と舞姫の幻想に、しばし、うつつを忘れたのである。

 面影を 追いて眠れぬ 雪明り

 小さな旅館の窓から、雪明りの町並みが見える。
 眠られぬまま、夜の雪をながめて、若い日々の回想にふける。
 吉田松陰は、已むに已まれぬ大和魂と詠んだ。
 已むは、消えて失くなることで、已まぬとは、いつまでもありつづけることという。
 わたしは、止むに止まれぬで、いつまでも、止まらない。
 愛は、いざしらず、止むに止まれぬのが恋で、大和魂も愛国心も、恋心であろうか。
 面影を追って、一人、独酌の夜である。

 わが庵の 梅は競いて 咲きたれど
   まだ来ぬ文の 待ちて久しき
 

 名残り雪は、春のきざしで、雪の数日後、二月の末に、梅が咲いた。
 約束したでもないのに、梅や桜は咲くが、約束した文は、まだこない。
 二月は、暦の上では、春だが、一年のなかで、いちばん寒く、いちばん、春が待ち遠しい。
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2011年01月07日

 新春二題

 遠近で 殷々と響く 除夜の鐘
 毎年、テレビが、名刹の除夜の鐘を中継する。
 画面には、初詣でに向かう人波も、映し出される。
 年に一度、神社に詣でるのは、祈願か、それとも、禊であろうか。
 窓の外から、近くの寺の鐘の音が、風にのって聞こえてくる。
 こちらは、生の音だが、わが家とは距離があるので、弱々しい。
 一方、テレビの除夜の鐘は、大きく、まるで、そばで聞いているようだ。
 窓の外の鐘の音とテレビの鐘の音を、交互に、聞いているのである。
 

 淋しさや せがれ仏ぞ 初明り
 初明りは、元日の朝、薄暗い空が、ほのぼのと明るくなることで、初日の出の明け初め、東の空にあらわれる曙光である。
 例年、初日の出に夢と希望を託して、初明かりを拝んで、よき年を祈念してきた。
 せがれの逝った今年の初明かりは、なんと淋しく、なんとやるせないことか。
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2010年12月17日

 冬二題

友逝きて ふるさとさらに 遠くなり

 わがふるさと三宅島も、過疎化の例外ではなく、十数年前の噴火による全島避難以後、いっそう、さびれた感がある。
 すでに、両親は亡く、足も遠のきがちだ。
 だが、故郷は、わが心の原点で、いくつになっても、忘れがたい。
 その故郷から、久しく逢っていなかったわが友、幼なじみの訃報が届く。
 そのたび、ふるさとが、ますます、遠のいていく。
 
 
 寒林や 葉音もたてず 風はしる
 
 風は、音によって、かんじられる。
 青葉繁れる時分は、木立をとおり抜けてゆく風が、すずしげな葉音を立てる。
 だが、葉を落とした寒林をとおりすぎる風は、黙って、とおりすぎてゆくだけだ。
 風の季語は、案外、すくない。
 冬の木枯らし、秋の野分(のわき)、夏の南風(はえ)くらいしか思いうかばないが、それでも、春には、春一番や風光る、薫風のほか、東風(こち)、涅槃西風(ねはんにし)、春疾風(はるはやて)がある。
 葉音は、季語ではないが、夏の木立を思わせる。
 風が吹くと、葉がさわいで、木漏れ日が躍る。
 いまは、音もなく、冷たい風がとおりすぎてゆくだけだが、冬木立のこの散歩道も、春になれば、風薫り、夏には、涼やかな葉音を聞かせてくれるだろう。
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2010年10月04日

 猛暑の夏、去りて

 ゆきあいの 雲わき立ちて 夏終わる

 猛暑から、一転して、肌寒い秋がやってきた。
 爽やかな秋晴れをとびこして、とつぜん、晩秋の気配となったのは、猛暑が、九月まで尾をひいたためであろう。
 そのせいか、今年は、ゆきあいの空が、例年より、一か月もずれこんだ。
 ゆきあいは、行合いと書いて、夏の雲と秋の雲が、空で行きあうことで、小さな入道雲の横にいわし雲や羊雲がなびく風情である。
 夏の雲の代表は、積乱雲が上昇気流にのって発達した入道雲で、夕立を降らせる。
 秋の雲は、それよりも高く、ばらばらにちぎれてうかぶので、うろこ雲とも呼ばれる。
 ぽっかりと浮かぶのが春の綿雲で、冬の雲は、低く垂れこめる。
 季節によって、空の表情が変わるのは、雲の形状のせいで、秋は「天高く馬肥ゆる」というように、ちぎれ雲が空高くかかる。
 梅雨のあとに夏がやってくるように、秋の長雨のあと、北風が吹きはじめる。
 その秋の長雨の兆しが、太平洋の高気圧とオホーツク海の冷たい高気圧が張り合う、ゆきあいの雲である。
 梅雨と秋の長雨では、同じ雨雲でも、高度や性質が異なる。
 前者が、低い空にかかる水滴の雲で、後者は、高い空にかかる氷晶である。
 秋雨が冷たいのは、そのせいで、一雨ごと、気温が下がってくる。
 ゆきあいの雲をながめて、公私ともに多忙だった今年の夏が終わったと、実感するのである。


 をちこちに 虫の鳴きらむ 葉月かな
 
 を(お)ちこちは、遠近や彼方此方と書いて、あちらこちらである。
 万葉集にも「――子どもらは泣きらむをちこちに」と詠まれている。
 そこから借りてきて「泣きらむ」ならぬ「鳴きらむ」とした。
 あれ松虫が鳴いている、にはじまる童謡「虫の声」に、秋の虫の声が、こう表現されている。
 松虫「ちんちろ ちんちろ ちんちろりん」
 鈴虫「りんりんりんりん りいんりん」
 こおろぎや(きりぎりす)「きりきりきりきり」 
 くつわ虫「がちゃがちゃ がちゃがちゃ」 
 馬おい「ちょんちょんちょんちょん すいっちょん」
 古典の昔から、こおろぎときりぎりすがとりちがえられているので「きりきり」という擬音になっているが、いまでいうこおろぎなら「コロコロコロコロ リーリー」で、きりぎりすも「ギー チョン ギー チョン」と聞こえる。
 わたしが好きな鈴虫も「りんりん」ではなく、もっと澄んだ「リーン リーン」である。
 葉月は旧暦の八月、新暦の九月下旬から十月上旬にあたる。
 葉月の由来は「葉落ち月」「穂張り月(ほはりづき)」、雁が初めて来る「初来月(はつきづき)」、南方からの台風がやってくる「南風月(はえづき)」など諸説あって、定説がない。
 をちこちと同様、表音言語のやまとことばで、語源などないのかもしれない。
 日本語は、やまとことば(表音)と漢字(表意)の組み合わせで、世界一、難しい言語といわれる。
 その分、表現能力が高く、それにそって、情緒もゆたかになったといわれる。
 世界で、虫の声をたのしむ民族は、日本人だけである。
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2010年08月23日

 蝉しぐれ三題

新盆や 想ひ新たに 墓参かな

 お盆は、仏教の盂蘭盆と故人に供物する民間習俗(中元節)、神道における祖霊信仰が一体化したもので、起源は、江戸幕府が、民間習俗や神事を仏教式におこなうように強制した檀家制度である。
 先祖供養は、カルマ(業)の仏教ではなく、死者がカミになる神道にもとづくもので、中元節も同様である。
 日本人の道徳観念や伝統を重んじる気風は、死者をカミとする祖霊信仰にはぐくまれたといってよいだろう。
 新盆は、ひとが亡くなって、初めて迎えるお盆で、とくに厚く供養する。
 身内を失ったかなしみは深いが、神道において、新盆は、この世の役割を終えた故人が、神々の住まう世界へ帰って、この世の守護神となる神葬祭の一環なので、悲嘆にくれてばかりはいられない。
 墓に参って、この世に残っているわが役割を思うのである。

 いつのまに 街の風情や 蝉しぐれ

 蝉の合唱には、いくつか、異なった声が混じっている。
 ジージー、ジリジリと聞こえるのがアブラ蝉で、ミーンミンミンミンミーと聞こえるのは、ミンミン蝉と見当がつくが、ほかにも、異なった鳴き声が聞こえてくる。
 それが、経のように耳に響くのは、墓参の帰路だからだろうか。
 蝉しぐれの夏木立にしばし目をやる。
 それが、この世の華やいだ景色に見えるのである。

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2010年07月30日

 過ぎ去りし日々

 毎歳忌 鉄舟肴に 夏馳走

 七月十九日、谷中全生庵で、山岡鉄舟の法要毎歳忌がおこなわれた。
 法要ののち、六代目宝井馬琴による「咸臨丸事件」にまつわる講談を聞いた。
 勝海舟・西郷隆盛会談の下地をつくって、江戸を戦火からまもり、維新後、侍従、宮内少輔などを歴任した山岡鉄舟の最大のエピソードは、講談にあったように、清水次郎長との友情であろう。
 新政府軍が会津若松城を包囲攻撃中だった明治元年八月、咸臨丸が、箱館をめざす幕臣たちを乗せて、清水港にはいってきた。
 このとき、駿府藩幹事役だった鉄舟は、反乱軍となった咸臨丸の幕臣たちに降伏を説いた。
 だが、埒が明かない。
 一か月後、清水港に攻め入ってきた新政府軍の三艦が、咸臨丸を砲撃の上、艦に残っていた副艦長春山弁蔵ら七人を斬殺、咸臨丸は、品川まで曳航された。
 七人の死体は、海中に投げ棄てられたまま、手をつける者がだれもいない。
 新政府から「賊軍に加担する者は断罪に処す」というお触れがでていたからだった。
 このとき、清水次郎長が「死ねば仏だ。仏に官軍も賊軍もあるものか」と、七人を向島の松の木の根もとに手厚く葬った。
 以後、鉄舟と次郎長との交わりは、鉄舟の亡くなる明治21年までつづいたという。

 また一人 友去り逝きて わが齢
   指折り数える 夜半無情(かなし)


 近代日本の黎明となった明治維新について、肯定的な見解が多いのは、現代日本のスタート地点だったからであろう。
 だが、このときおこった内戦(=戊辰戦争)は、268年前の関が原合戦で負けた西軍の東軍にたいする遺書返しの様相があり、天皇親政を立てて官軍を名乗った薩長の戦略も、本来の国体にそったものではなかった。
 天皇と日本の歴史をじっくり再検討してみたい。
 だが、残された時間には、おのずと限りがある。
 折りしも、心の痛む訃報が届いた。
 夜半、ふと、過ぎ去った日々のはやさとわが齢を思ったのである。
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2010年07月26日

 蝉時雨三題

 蝉時雨 ただひつそりと 七士の碑

 蝉時雨(せみしぐれ)は、一斉に鳴き立てる蝉の声を、時雨(通り雨)に見立てた夏の季語である。
 時雨は、秋から冬にかけて、降ったり止んだりする雨のことで、本来、冬の季語である。
 初冬の時雨を夏の蝉にひっかけたのは、一斉に鳴く蝉の声が、通り雨のように聞こえたからであろう。
 思い浮かぶのが芭蕉の名句――
 閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声 
 である。
 空から降ってくるように聞こえる蝉の声が、雨のように岩にしみ入って、それ以外の音は、何一つ聞こえない。
 それを芭蕉は閑(しず)かとかんじたのである。
 ふたたび、伊豆山の興亜観音を訪ねた。
 山中に響く蝉の鳴き声が、まるで、お経の大合唱のように、耳に響いたのである。

 滴りの 音掻き消すや せみ時雨
 
 関東では、時雨を通り雨と解して、かならずしも、秋や冬のものではなくなったが、夏の通り雨は、なんといっても、夕立である。
 夕立をもたらす夏の積乱雲は、上に高くそびえる立体形の雲なので、かぎられた場所にいちどきに大量の雨を降らせる。
 その雨音さえ、せみ時雨の前では、耳に届かない。

 蝉時雨 わびしき心 なほ深く

 芭蕉の侘(わび)寂(さび)は、一言でいうのがむずかしい。
 ともに閑寂なおもむきで、余計なものがとりのぞかれている。
「寂しい」「侘しい」はどうであろうか。
 寂しいは、何かが欠けて、物足りなく、心細いかんじで、侘しいは、これに、困難ややりきれないというニュアンスがくわわる。
 人生には、避けることができない、多くの障害がまちうけている。
 山中のせみ時雨のなかで、ふと、侘しい気持ちに襲われたのである。

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2010年07月02日

 花の色

 わすれ草 明日を知らず 風に咲く

 忘れ草は、萱草(カンゾウ)の別名で、朝咲いた花がその日の夜にしぼむため、その名がある。「忘憂草」などとも呼ばれる。湿った原野に自生するユリ科の多年草で、六月から夏にかけて、黄赤色の花を咲かせる。
 萱草の花色は、黄色味かかったオレンジ色で、萱草色(かぞういろ)という色名がある。
 日本の色には、植物からとったものが多く、ほかに、紅梅色、桃色、桜色、灰桜、柿色、菜の花(なのはな)色、菜種(なたね)色、藤色、竜胆色(りんどういろ)桔梗色(ききょういろ)梅紫(うめむらさき)などあげていけば、きりがない。
 英語では、グリーンやレッドの一言だが、江戸時代、日本人が区別した色数は、数百にのぼるという。
 一日しか咲かない忘れ草が、風に揺れている。
 今日一日のいのちなのに、明るい萱草色なのである。

 雲垂れて なお明るけり 四葩(よひら)かな
 
 梅雨曇の下で、紫陽花(四葩)が、色鮮やかに咲いている。
 雲が垂れこめているので、いっそう、花色が明るくかんじられる。
 陽がさしていたら、ぼんぼりのようなこの明るさは、かえって、失われていたかもしれない。
 アジサイの花色は、赤や青や紫いろいろだが、どの色も、アントシアニンという色素のはたらきで、これに、補助色素とアルミニウムがからんで、花色がきまる。
 根から、アルミニウムが吸収されると、花弁が青くなり、アルミニウムが吸収されなければ、花は赤くなる。
 同じ株で花色が異なるのは、土中にのびた根の先の土壌が異なるからで、七変化と呼ばれる花色の変化は、花自体の酸性度の変化によるものだという。
 紫色のアジサイは、青色と赤色の中間で、場所によって、濃淡が異なる。
 その微妙な色合いが、蛍光色のように、明るいのが、不思議なのである。 

 山清水 はらわたに浸む 夏野かな

 梅雨の間をぬって、山を歩く。
 梅雨時といっても、季節は夏なので、一歩きすると、汗をかく。
 手ですくって飲む冷たい山清水がはらわたに浸みる。
 見上げると、雲間から、太陽が顔をだしている。
 梅雨明けまで、まだ間があるが、夏の気配が、そこまで迫っているのである。
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2010年06月02日

 梅雨入り二題

 梅雨入りや 軒のしたたり 水の琴 

 日本は、地下資源はなくとも、世界一、自然環境に恵まれている。
 他の文明圏から隔絶した特有の文明をつくりえたのも、日本が、特有の気候と風土をもった島国だったからである。
 同じ島国でも、たびたび、異民族の襲来をうけたイギリスに比べて、日本は、周囲を荒海に囲まれていたせいもあって、外敵の脅威にさらされたのは、白村江の戦いと蒙古襲来、黒船がやってきた幕末、太平洋戦争敗戦後と、歴史上、四回しかない。
 日本特有の気候風土が、国土の平和と文化の独自性をまもったのである。
 日本列島は、亜寒帯から亜熱帯へ南北にアメリカ合衆国をこえる長い海岸線をもち、南からの黒潮と対馬海流、北からの親潮にとりまかれている。
 温暖多雨な気候は、国土の70パーセントを占める森林を育成し、森林から流れ出る河川は、肥沃な平野やゆたかな漁場をつくり、山の幸、平野の幸、海の幸をもたらしている。
 桜前線が南から北へ、紅葉前線が北から南へ移動する日本の四季の美しさも、世界に類がない。
 田植えとかさなる梅雨前線も、日本列島を縦断して、夏の訪れを告げる。
 関東には、六月初旬から七月下旬まで、梅雨前線がはりつく。
 毎日、しとしとと降る雨は、細かい霧状で、ぬか雨ともいわれる。
 霧雨の雨落ち(あまだれ)は、間をおいて、のんびりと滴る。
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2010年05月26日

 井の頭・弁天堂

 大願や 一紙半銭 神だのみ

 休みの日には、井の頭公園と公園の池から流れでる神田川沿いの道を歩く。
 コースは、吉祥寺駅から井の頭駅→三鷹台駅→久我山駅の往復六kmに自宅から駅までの往復約2kmと井の頭の池を一周する1、3kmをくわえた10km弱で、二時間ほどかける。
 途中、池のそばに立つ弁天(弁才天)堂へ参拝する。 
「才」が「財」につうじることから「弁財天」とも書かれる弁才天は、もともと、ヒンドゥー教の水の女神で、のちに仏教や神道、民間信仰と習合して、現在は、七福神の一柱として知られる。
 お参りのとき、ポケットの小銭(一紙半銭)を賽銭箱に納めて、願い事をする。
 神仏が人間にあたえるのが御利益で、神頼みが仏教的な性格なら、御守りは、神道的な考え方である。
 神道の真髄は、浄めで、御守りも、穢れから身をまもることに由来する。
 人間が、過ちを犯すのは、穢れるからで、浄めることによって、過ちからも逃れることができる。
 いかにも、日本的な考え方で、もともとのすがたには、罪がないというのである。
 キリスト教には、原罪という思想があり、儒教も、真実は天にあって、この世は、天に支配されている。
 キリスト教によると、この世をつくったのは、神(創造主)だが、神道では、この世のあらゆるものが、神である。
 物に神が宿る(アニミズム)のではなく、物それ自体が神なので、浄めが必要になる。
 浄めによって、元の神体へもどろうというのである。
 神社に参るのは、身を浄めることなので、本来、願い事をしてはならない。
 弁天様は、身を浄めて下さる神道の神なのであろうか。
 それとも、願い事を聞いて下さる仏教の仏なのであろうか。
 歩きながら、ふと、そんなことが頭にうかぶのである。

 薫風が 肌にやさしき 散歩かな 

 気づかずに 江戸の参道 歩きおる


 井の頭公園の池は、関東有数の湧水の一つで、園内の御殿山遺跡から、縄文時代の竪穴式住居遺跡も出土している。
 大昔、人々は、井の頭の泉のほとりに、集落をつくったのである。
 弁天堂の縁起も古く、伝教大師作の弁財天女像を安置した平安時代中期が起源で、源平合戦の頃、源頼朝が、東国平定を祈願して改築したという。
 鎌倉時代末期、新田義貞と北条泰家がたたかった元弘の乱(後醍醐天皇と鎌倉幕府の戦)の際に焼失したが、その数百年後、江戸幕府三代将軍徳川家光により再建された。
 井の頭の名称は、家光が名づけたもので、堂のそばに、その伝承を記した石碑、当時の商人や歌舞伎役者が寄進した石灯籠、宇賀神像などが残っている。 
 江戸時代、市民の信仰を集めた井の頭・弁才天は、行楽地でもあった。
 史跡として整備されている参道からの入り口に「黒門」と呼ばれる黒い鳥居がある。 
 道標の一つで、四谷、新宿から三鷹市をとおって、井之頭へ至る参道は、徳川幕府から篤く保護されてきたという。
 わたしの散歩道は、江戸時代、庶民がかよった参道と重なり合っていたのでる。
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2010年04月30日

 春二題

 雨だれや 水琴の音 春の宴

 水琴(窟)は、地中に埋めた甕(かめ)に落ちる水滴の反響を楽しむ風流で、日本庭園の装飾の一つである。
 水琴というほどだから、よほどよい音がするのであろう。
 わが家の水琴は、雨だれで、春雨を集めて、屋根から滴っている。
 霧のような春雨で、雲も、鉛色の雨雲ではなく、いまにも薄日がさしてきそうな淡い色だ。
 庭で、萌え出た若芽が、折からの雨をよろこんでいる。
 ながめていると、なにか、賑やかなかんじがする。
 木々や草花が、ひそかに、春の歌をうたっているのだ。
 雨だれの音が、その伴奏のように聞こえる。
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