よく知られた句に、「松島や ああ松島や 松島」やがある。
これが名句とされるのは、ことばではなく、詠嘆の気分で、みごとに、松島の情景を詠んだからであろう。
この句は、芭蕉の作といわれてきたが、実際は、江戸時代の狂歌師・田原坊がつくったもので、原句は、「松嶋やさてまつしまや松嶋や」という。
わたしが寒の月を詠んだのは、いまから半世紀も前のことで、当時、わたしは、復刊された日本及び日本人という雑誌の編集にたずさわっていた。
日本及び日本人の常連執筆者がひらいた句会に呼ばれ、一句詠むようにすすめられて、苦し紛れにひねったのが、この句で、芭蕉の作とされてきた名句を模したわけではない。
一笑に付されるかと思ったが、アララギ派の歌人でもあった主催者に励まされ、大いに恐縮した。
以後、俳句に馴染むようになったが、いまだに、名句をものにできない。
逝き人を 偲ぶる夜半や 冬の月
当時の存命者は、ほとんどいなくなって、思い出話をする機会もなくなった。
冴え冴えとした冬の月が、そんな侘しさと重なった。
月読の 寒々おわす 荒野かな
月読命(つくよみ)命は、伊邪那伎(いざなぎ)命によって生み出された月の神で、天照(あまてらす)大御神の弟神、素戔嗚(たけはやすさのお)尊の兄神にあたる。
伊邪那伎命は、天照大御神に天上界を、素戔嗚尊に海の世界を、月読尊に夜の世界を治めるように命じたと神話にある。
「月読」は月を数えることで、月齢を読むということばがあるとおり、時間軸の神である。
古代の人々は、夜と過去を重ねあわせて、月を見上げたのであろう。
冬の月に照らし出された荒野が連想された。
あの大震災から、そろそろ、一年がたとうとしている。
復旧の足取りは、遅々として、すすまない。
月読命が、夜空で、呆れているように思える。