2010年03月30日

 亡き友を偲んで

 ゆらゆらと 陽炎たつ日 野辺送り
 
 春の季語でもある陽炎(かげろう)は、はかなさのたとえに用いられることも多い。
 陽炎の別名、糸遊(いとゆふ)は、平安時代から、和歌に使われてきたことばで、原義は、空中をただよう蜘蛛の糸が、光に屈折してゆらゆらと光って見えるさまである。
 空をただよう蜘蛛の糸は、はかなさの極致で、だからこそ、はかなさの代名詞である陽炎とイメージが重なりあったのであろう。
 昆虫のカゲロウ(蜉蝣)は、羽化後の寿命が短いことで知られる。
 なかには、数時間という短命もいる。
 ひとの命も、考えてみれば、はかない。
 短いという意味ではなく、去ってゆくことが、それ自体、はかない。
 野辺送りは、わたしの子どもの頃の記憶で、葬列に、野良の人々が手を休め、麦藁帽をとって、見送っている。
 遠い記憶が、ゆらゆらとゆれて、かげろうのようだ。

 陽炎の なかを歩みし 遍路かな

 狭義の遍路は、四国遍路のことで、お遍路さんは、空海が開いた八十八か所の寺(札所)を巡拝する。
 四国巡礼が遍路と呼ばれるのは、修行者が、平安時代から、険しい四国の海岸を“歩き修行”の場としてきたからである。
 遍路は、海沿いの道(辺地=へち)のことで、ここが修行の場となったのは、神道でいう「根の国(=仏教でいう彼岸)」が、海のかなたにあると信じられていたからである。
 仏教がはいってきて、浄土と「根の国」が習合して、浄土をめざす辺地修行が、遍路となった。
 したがって、広義の遍路は、聖地をめざす巡礼である。
 人々は、陽炎のようにはかなく、そして、険しいこの世という辺地を歩いて、聖地をめざす。
 多くの先輩、友人は、先に逝ったが、まだ当分、わたしは、はかなく、険しいこの世の辺地を歩きつづけなければならない。


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2010年03月09日

 春は間近に

 日溜りや 将棋をさして 春を待つ

 一年のうち、いちばん寒いのが二月だ。
 暦の上では、春が間近で、一か月もすれば、桜の蕾もふくらむというのに、この冷えこみはどうだろう。
 夜明け前がいちばん暗いといわれる。
 同様に、冬も、終わる寸前がいちばん寒いというわけだが、多分に、気分の問題だろう。
 朝や春が目前なので、いっそう暗く、寒くかんじられるのだ。
 ガラス戸ごしの日溜りで、詰め将棋をたのしむ。
 だが、実際は、背を丸めて、陽のぬくもりや眩さをたのしんでいるのである。

 かげろうの 向こうはのどか 地蔵尊

 陽炎(かげろう)は、地面から立ち上る水蒸気が空気の密度が変化させて、風景がゆらめいてみえる現象で、一応、春の季語だが、冬の末にも見られる。
 春が間近い陽の光にあたった地面のぬくもりと冬の寒気がまじりあって、大気の光の屈折率に微妙な変化が生じるのである。
 かげろうは、蜻蛉(カゲロウ目の昆虫)につうじさせて、はかないもののたとえに用いられるが、わたしには、大気が遊んでいるように見える。
 はかないどころか、愉快な印象で、見ていて、気持ちが明るくなる。
 散歩で、いつも見ている地蔵尊が、すこし動いたような気がして、足をとめた。
 目を凝らすと、ゆらゆらと陽炎が立ち上っている。
 春が、目の前まできていることに、あらためて気づくのである。

 屋根を打つ 音もしずけき 菜種梅雨

 三月にはいって、降る長雨を菜種梅雨という。
 本来、菜の花が咲く頃の長雨なので、時期は、三月の下旬から四月初旬にあたるが、先取りして、雛祭りの時分、しとしと降る雨も、菜種梅雨と呼ぶことにする。
 近年は、地球温暖化のせいか、菜の花の開花が早まっているので、さしつかえないだろう。
 冬の雨と春の雨のちがいは、雨音である。
 冬は、風や雨に、音がある。
 木枯らしはピューピューで、冬の雨はピチャピチャと、いかにも冷たい。
 ところが、春の雨は、音というより、かすかに気配がつたわってくるだけである。
 春一番の強風も、聞こえてくるのは、物が倒れた音くらいなもので、風の音は聞かない。
 夜分、降る雨の音の静けさに、春の訪れを知るのである。

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2010年02月08日

 春のことば

旅の宿 つぼみ寒梅 湯の香り

 先日、夕刻になってから、雪が降りだした。
 朝までには止んで、積雪にはいたらなかったが、夜半までしんしんと降りつづいた。
 この時期に降る雪は、名残り雪で、残雪や雪間(ゆきま)と並んで、雪にちなんだ春のことばである。
 名残り雪は、冬を思わせる春の雪で、残雪は春になっても消えずに残っている雪。
 雪間は、春になって、解けた雪のあいだに地表が見えてくる山里の情景である。
 寒梅は、春の季語で、寒の梅や寒紅梅などとも表される。
 その寒梅が、折からの名残り雪を被って、つぼみなどは、まるで頬かむりをしているようだ。
 きびしい寒さに耐えて、つぼみをつけ、春にさきがけて咲く寒梅には、我慢強さや努力という前向きなイメージがある。
 けれども、わが庭の雪の寒梅は、ただひつそりと、春を待ちわびているだけだ。

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2010年01月26日

 冬の空3題

 一人来て 一人で帰る 寒鴉
 散歩に出て、冬は、空を見上げることが多い。
 夏は涼しげな木陰へ、春は野の新緑へ、秋は落葉の木立へ目がいって、空を見上げることを忘れている。
 野が枯れて、街が寒々しい冬の空は、翳りがあって、案外、表情がゆたかだ。
 青く澄んでいるときも、淡い水色のときも、千切れ雲をうかべているときもあるが、寒々しい地上の風物とからむと、それなりに、冬の風景である。
 枯れ木と寒鴉、冬の空。
 こういう侘しい情景に、わたしは、心を惹かれる。

 冬晴れや 布団たたきの ここかしこ
 冬の晴れた空を小春空や冬晴れという。
 初冬は小春空、冬が深まると冬晴れで、いずれも、冬の季語である。
 冬は、空が青く輝いているのに、太陽の位置が低いので、日差しが弱々しい。
 それでも、冬晴れの下、マンションや公団の住人が、一斉に、布団を乾す。
 乏しい冬の光をもとめる人々の心根がつたわってきて、ほほえましい。

 冬うらら 影を追いつつ 遠くまで
 冬うららは冬麗で、晴れてあたたかい、春のような日和である。
 こんな日に散歩へでると、うららかな日差しに誘われて、つい、足がのびる。
 目にふれる景色に、春の気配は見えないが、何かを追うように、歩きつづける。
 まだ、春は遠いけれど、ひと月もすれば、木の芽がふくらみ、水もぬるんでくる。
 追っていたのは、春の兆しだったか。
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2010年01月20日

井の頭公園の初春

 さざれなみ 立てて雁行 くの字かな
  
 雁は別名「かり」とも称される大型の渡り鳥で、日本へ秋に飛来し、湿原や湾などで冬をすごして、春に北へ帰る。
 一羽が飛び立つと他がそれにならって飛ぶ習慣があり、上空で、雁行と呼ばれるくの字型の編隊をつくる。
 さざれなみ(細波)は「立つ」の掛詞で、いざこざや不和という意味もある。
 春になって、雁が北へ帰ったのちも、日本列島のさざなみは、消えそうにない。
 雁行のくの字が「苦の字」にならなければよいのだが。
 雁(がん・かり)は、カモ目カモ科の水鳥の総称で、鴨(かも)よりも大きく、白鳥よりは小さい。
 日本でもっとも馴染みの深い渡り鳥で、数万羽の真雁が越冬する宮城県では県鳥に指定されている。
 1300年前、聖武天皇が「秋の田の穂田を雁がね暗けくに夜のほどろにも鳴き渡るかも」(万葉集)と詠んでいる。
 馴染みからいって、日本の国鳥といってもよいのではないか。
  
 せせらぎに 耳を澄ませば 春の音
 
 井の頭公園の湧水・茶の水を源流とする神田川の川沿いの歩道を歩くと、せせらぎの音が、春を待つ心をなごませてくれる。
 井の頭公園から流れでた神田川は、善福寺川や妙正寺川、小石川と合流してお茶の水へ下って、秋葉原、浅草橋をへて、隅田川(大川)に注ぐ。
 荒川や隅田川と比べるといたって小さな川だが、江戸市民にとって、神田川は、玉川上水と並んで、飲用水を提供する貴重な川だった。
 江戸以前、平川と呼ばれていたが、江戸の世から、日本初の上水道「神田上水」の源水となったことから神田川と呼ばれるようになった。
 わたしが散歩する井の頭公園からすぐの神田川は、水量が少なく、それだけに、耳を澄ますとせせらぎが聞こえてくる。
 年が明けると、この水音が「春遠からじ」と聞こえてくるのである。



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2010年01月07日

 行く年来る年

 年越して 響き新たや 除夜の鐘

 除夜の鐘は108回撞かれる。108は煩悩の数で、新年を迎えるにあたって、除夜の鐘を聞きながら、煩悩を滅しようというのである。
 大乗仏教には、煩悩を滅して、さとりをひらこうという考えのほかに、煩悩をあるがままの人間の姿として、肯定的にとらえる考え(如来蔵思想)がある。
 両者の葛藤は、案外、大問題で、自由や権利の観念ともからんでくる。
 自由を制限されると息が詰まるが、野放図な自由も困りものだ。
 そんなことを思いながら聞く除夜の鐘も、午前零時を過ぎて、新年を迎えると、とたんに、新しい音色に聞こえてくる。

 また一歩 閻魔に近づく 除夜の鐘

 年越しの 団欒の宴 除夜の鐘

 湧きいずる 茶の水流るや 神田川

 井の頭公園は、わたしの好きな散歩道である。
 公園の一隅に、茶の水といわれる湧き水がある。
 かつて、徳川家康が、武蔵野へ鷹狩りに出かけた折、この湧き水で茶を立てたとつたえられる。
 その由来から、「茶の水」の名がついたこの湧き水は、いまも、滾々と湧き出て、井の頭の池に流れこんでいる。
 それが神田川の源流で、JR御茶ノ水駅の脇をとおって、領国橋で、隅田川と合流している。
 園内は、井の頭池の一角、雑木林と自然文化園のある御殿山、運動施設のある西園、西園の南東にある第二公園の4区域に分かれている。
 江戸時代は、幕府御用林として、その後、宮内省御用林、帝室御料地として、保護されてきた園内の雑木林は、樹種がゆたかで、散歩の目をたのしませてくれる。
 紅葉・黄葉も、みごとで、モミジ、ケヤキ、イチョウなど、樹種の異なる、変化に富んだ葉色が井の頭池の水面に映える風景は、圧巻である。

 己をすてて 浮かぶ瀬もあれ 散黄葉

 わたしは、いさぎよさの象徴のようにいわれる桜の花の散り様と同様、黄葉した銀杏の散り様が好きだ。
 桜の花は美しく咲き、そして散り、やがて実をつけ新しい命を育む。
 だが、銀杏の黄葉は、散ってゆくだけで、桜の花のように、新たな命を育むわけではない。
 みずから散ってゆくのは、冬の寒さにむかう親木の負担を軽減させるためである。
 葉を落として、裸木となった親木は、冬の寒さに耐え抜き、春にふたたび青々とした新芽をつける。
 黄葉も落葉も、みずからを犠牲にすることによって、親木をまもろうとする自然界の摂理で、何十年、何百年も、同じことをくり返して、銀杏は、やがて、大木へ生長する。

 雪花や 御園に舞うや 筵松

 井の頭公園は、春は水面に映える250本の桜、夏は涼風吹きぬけるクヌギやケヤキの散歩道、秋は紅葉・黄葉が都民に親しまれているが、わたしは、冬の井の頭公園にも心を魅かれる。
 冬になると、園内の日本庭園のクロマツにムシロが巻かれ、雪吊りのロープがかけられる。
 最近は、年に一度か二度しか雪が降らないが、銀世界に、雪吊りの松がよく似合う。

 時雨きて 軒下借りる 彼我も

 雪にならないまでも、冷たい冬の雨にそぼ濡れる木々の景色も、捨てがたい。
 時雨は、初冬の通り雨で、このとき、気温が下がって降る雪を、時雨雪と呼ぶ地方もある。

 夜時雨 夜半に雪の 寒さかな

 冬の雨は冷たく、うっとうしい。冷えこんできた夜半、窓の外を見ると、白いものがちらついている。
 いつのまにか、冷たい雨が雪に変わっていたのである。

 小春日や 座布団ぬくし 猫うつら

 命日の陰暦10月12日にちなんで、芭蕉忌を、時雨忌と呼ぶことがある。
 時雨降る陰暦の10月に、小春の異称があるのは、ときどき、春のような暖かい日があるからであろう。
 とくに、うららかな日が小春日で、小春日和ともいう。
 年が明けると、いくら春めいて、あたたかい日でも、小春日とはいわない。
 迎春は、本物の春をまちわびる心である。
 今年は、どんな春がめぐってくるのであろうか。
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2009年11月16日

 枯葉と落ち葉

 空を舞い 地にあってなほ もみじかな

 落ち葉となったもみじが、地上を赤く染めている。
 紅葉(もみじ)は、落葉して地に還る枯葉とちがい、散って地面に落ちても、永らく、色や形を変えない。
 紅葉(こうよう)は、葉の老化現象とみられていたが、最近、一つの生態であることがわかった。
 発芽や開花と同じように、木々に、紅葉づ(もみづ)という生理現象があるというのである。
 紅葉はアントシアン、黄色はカロテノイドという色素のはたらきによるものだが、秋に広葉樹の葉が紅葉(黄葉・褐葉)する理由は、まだよくわかっていない。
 紅葉色が鮮やかなほど、寄生して樹液を吸う害虫、アブラムシの寄生が少ないというから、防衛反応の一つなのかもしれない。
 そこに、日本人が、新緑や開花と同じように、紅葉を愛する理由がある。
 紅葉は、滅びではなく、木々のいのちの、輝きだったのである。

 霜立ちて 尚粛々と 山粧う

 山が赤く燃え上がるような紅葉は、満開の山桜と並んで、日本を代表する美である。
 紅葉を称える季語も、初秋の薄紅葉や初紅葉から盛りの照紅葉、黄昏の夕紅葉、そして、散り紅葉と多彩だ。
 カエデ(楓)の別称としてもちいられることはあるが、もみじという植物はない。
 紅葉するのは、カエデのほか、ウルシやツツジ、ツタ、ヤマブドウ、ヤマザクラ、カリン、ナナカマド、ウコギ科のタラノキなどで、イチョウやヤナギ、ポプラは黄葉、ブナ、ミズナラ、カシワ、ケヤキは褐葉する。
 広葉樹が葉を落とすのは、葉から水分が蒸発するのを防ぐためで、裸となった木々は、休眠状態のまま、春をまつ。
 そのひっそりとした風情も、秋山の粧いである。
 木々の燃えるように映える紅葉もみごとだが、赤や黄、褐色の落ち葉が山をつつみこんだ景色にも風情がある。

 子守柿 鳥がついばむ 秋の暮

 柿の紅葉も、カエデや銀杏の黄葉と並んで、色合いが鮮明だ。
 秋が深まって、葉が落ち、裸になった柿の木に、実が一つ残っている。
 実を一つ二つ残すのは、来年の豊作への祈願であるとも、野鳥のためともいわれる。
 それが、子守柿(こもりがき)で、木守柿(きもりがき)ともいう。
 秋の夕暮れ、野鳥がやってきて、せっせと庭の熟柿をついばんでいる。
 遠慮することはない、おまえのためにとっておいた実だ。
 
 古き家の 木犀の香に 歩み止む

 休日に、一時間ほど近所を散歩する。
 新築の家は、みな、外に向かって、冷たく戸締りしている。
 だが、古い家は、あけっぴろげだ。
 たいてい、小さな庭や立ち木があって、ひとが平和にくらしている気配がある。
 木犀の魅惑的な香に 歩みを止める。
 案の定、古い家の庭のギンモクセイが、星のような小さな花をたくさんつけている。
 木犀は秋に花をつけるので、秋の季語だが、秋にしては、艶やかな香である。

 秋寒や 道行く人も 背を丸め

 秋寒も秋の季語だが、本格的な寒さではない。
 朝晩の肌寒さから、秋がきたことに気づくのが秋寒で、道行くひとも、心なしか、背を丸めているように見える。
 木枯らしが吹くまで、当分、小春日和と秋寒、秋日和と秋黴雨が交代する日々がつづく。
     
 窓ぬらす 雨声も弱き 秋黴雨(あきついり)

 秋黴雨は秋入梅で、秋の長雨である。
 春雨のような軽さ、夕立のような激しさ、みぞれのような冷たさはない。
 ただ、弱々しく、さびしく、どこか、人恋しい。
 雨音がほとんどなく、いつのまにかふりはじめ、いつのまにかやんでいる。
 その雨が、いつまでもつづくので、秋の梅雨なのである。

 独酌の 徳利も軽き 夜長かな

 秋の夜長も、そぞろの一つのかたちで、秋の夜時間が長いという意味ではない。
 冬眠ということばから、冬が、活動停止の時期と思われがちだが、実際は、越冬や年越しの活動期で、案外、忙しい。
 ひとが、活動を休むのは、秋で、もっぱら食べ、心身を休め、知識を深める。
 このとき、そぞろという心のはたらきが動員される。
 そぞろは、自由で、直観的で、理屈にとらわれない。
 夜更けに気づくと、独酌の徳利が空になっていた。
 そぞろに更ける秋の夜長は、酒も、ちょっぴりすすむのである。
 
 
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2009年11月04日

「危急存亡の秋」

 風の息 波打ち躍る 稲穂かな

 ハンチントンの『文明の衝突』で、日本文明は、西洋文明や中華文明と肩を並べる独自の文明とされている。
 ところが、学者やインテリのなかには、日本文明は中華文明の亜流にすぎないと主張する者が少なくない。
 学者やインテリの世界でも、反日主義や媚中・自虐史観派が、大手をふっているのである。
 かれらが、日本文明の独自性をみとめようとしないのは、土台となっている神道=天皇を否定したいからであろう。
 ハンチントンは、独自の宗教が、独自の文明をつくりだす、と考えた。
 西洋はキリスト教、中国は儒教、日本は神道が、文明の母体となったというのである。
 土着宗教は、民族の生存手段とも、深くかかわっている。
 じじつ、一神教と狩猟(肉食)、儒教と雑食文化、神道と稲作文化は、表裏一体の関係にある。
 アニミズムは自然に精霊が宿るが、神道では、自然そのものが神である。
 日本の場合、収穫は、神の恵みで、人々は、八百万の神々とともにある。
 こういう宗教観は、日本以外、どこにもない。
 稲作社会では、大勢が協力しあって、はじめて、十分な食糧がえられる。
 神道は「自然との共生」で、稲作文化は「人々との協力」である。
 これが「和の精神」で、共生と協力が、日本文明の根幹といってよい。
 人々が力を合わせて育てた稲穂の上を、風がとおりすぎてゆく。
 その風が、あたかも、風の神の吹いた息に思われる。
 いかにも、日本文明を象徴する風景なのである。

 うららかに 木漏れ日の杜 薄紅葉

 薄紅葉 朝日に映えて 今朝の露

 村上正邦先生をお迎えするため、前日、栃木県喜連川の「簡保の宿」に一泊した。
 翌朝、夜明け前に目覚めたので、窓から、日の出をながめた。
 朝日の下にあらわれた山が、うっすら、紅葉にそまっていた。
 奈良県吉野山で、南丘喜八郎、佐藤優、平沼赳夫、西村眞吾氏ら、大勢の同志とともにお送りしたのが、一昨年の春であった。
 あれから、一年五か月が過ぎ去った。
 そのかん、日本は、激変した。
 雇用を大事にしてきた企業が、株主や資本の論理をおもんじるアメリカ型へモデルチェンジして、多くの国民が、生計手段を奪われた。
 社会構造も、弱肉強食と自然淘汰の波にのまれつつある。
 みなが力を合わせて生きてゆく「共生と協力」の社会から、他人と競争をして、勝たなければ生きていけない狩猟型の資本主義社会へ移行ようとしている。
 そのさなか、半世紀以上、政権をにぎってきた自民党が、民主党に惨敗した。
 民主党は、国民の声を聞くという名目で、徹底した衆愚政治をおこない、のちに、反日政策を仕掛けてくるはずである。
 外国人参政権、夫婦別姓、靖国代替慰霊施設など、すべて、西洋的価値観の導入である。
 村上正邦先生を中心に、保守人が結束して、日本をまもらなければならない。
 秋には、季節の秋のほか「危急存亡の秋(とき)」とあるように「大事な時」という意味もある。
 この秋は、保守陣営にとって、「危急存亡の秋」でもある。
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2009年10月27日

 アナログ文化と虫の声

 一人居る 鎮守の森の 蝉しぐれ  

 わたしは、春の風物に、秋の風情と同様、ものがなしさをかんじる。
 秋の枯葉に物寂しさをかんじるように、春の桜に、悲哀をおぼえるのである。
 かなしいという漢字は「悲しい・哀しい」だが、古語では「愛しい」と書かれる。
 意味も「かわいい・いとおしい・強く心をひかれる」が先で「悲しい・哀しい」は二番目である。
 したがって、わたしの「物悲しさ」も、古語なら「物愛しさ」になる。
 日本人は、昔から、春爛漫の桜に、滅びの美や潔さを見るように、物事にたいして、相反する価値をみいだしてきた。
 それが、千利休の「わび」、松尾芭蕉の「さび」、本居宣長の「もののあはれ」で、かなしも、愛しさと悲哀が相半ばしている。
 さみしさというのも、嘆きではなく、ひっそりとした風情である。
 武蔵野八幡は、わたしの散歩コースで、衆院選挙がおこなわれたその日、蝉がさかんに鳴いているのに、神社の杜からつたわってきたのは、しんとした静けさだけだった。
 夏の終わりにも、ものがなしさが、あるのである。

 夕焼けや トンボ取る子の 家路かな
 
 わびやさび、もののあはれのほか、日本の代表的な感性に「をかし」がある。
 おもしろい、趣がある、という意味だが、これは、心のうごきというより、一つの情景図である。
 花鳥風月から虫の声、人物風俗、名所旧跡にいたるまで、日本人は、風景や情景を「をかし」としてとらえ、絵や句に、描いてきた。
 なんということもない一つの情景が、理屈ぬきに、心のなかにとびこんでくる。
 世の中や人生は、「をかし」としかいいようのないものに、みちみちているのである。

 鈴虫の 声も愁へる 白露かな

 日本人のデリケートな感性は、季節感に、よくあらわれている。
 季節の変化を発見することが、美意識で、そのなかに、中間的な時節もある。
 立秋(8/8)は、まだ夏の盛りで、白露(9/8)が秋の入り口、秋分(9/23)をへて、寒露(10/9)になって、ようやく、秋が深くなってくる。

 すずむしの いずこで鳴くや 月明かり

 日本では、季節が、徐々に移り変わってゆく。
 ゆるやかに移り変ってゆくのが、風情で、中間色のアナログ文化である。
 あいまいさ=アナログ文化の日本が、平和的なのは、多神論的世界だからである。
 一方、YESとNOをはっきりさせる西洋は、一神論のデジタル文化で、そこに、闘争の論理がはたらいている。
 色も、好まれるのが真紅などの原色ばかりで、中間色は、優柔不断として、切り捨てられる。 
 日本人は、虫の声を声として、言語脳でうけとめる。
 ところが西洋人には、虫の声が、機械音や雑音と同様、音としてしか聞こえない。
 最近の日本でも、わびやさび、もののあはれ、をかし、中間色の文化が失われて、黒白を争う、西洋のような一神論的発想が、大手をふっている。
 テレビでも、田原総一郎が「イエスかノーか」と政治家を叱りつけている。
 感情も、喜怒哀楽や快・不快、嫌悪や美醜などのデジタルだけでは、中間色のアナログの情感が失われて、世の中が荒んでゆく。
 日本には、ヤハウェもキリストも、モハメットもいない。
 八百万の神々の国には、やはり、中間色とゆるやかな変化が似合うのである。

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2009年09月10日

 混迷の夏去りて、憂鬱の秋来たり

 師の在す 喜連れの里に 秋来たり 
 
 村上正邦先生が、今月中にも、帰ってこられる。
 一年数か月におよぶ、無実の獄窓からの帰還である。
 KSD事件は、司法が、立法権および憲法を侵害してつくりあげた大冤罪だった。
 三権分立において、司法は、立法権である国会の代表質問を裁くことができない。
 だが、KSD事件では、自民党の代表質問が、受託収賄罪を構成すると断じられた。
 有罪根拠も、公判で「はやく釈放されたかったので、検察に迫られてウソをいった」と撤回したKSD古関忠男元理事長の勾留中の証言だけである。
 憲法第三十八条に「抑留、拘禁中の自白は、これを証拠とすることができない」とある。
 したがって、拘留中の古関証言は、当然、公判で破棄されるべきものであった。
 だが、司法は、古関証言に信憑性があるとして、これを村上有罪の唯一の証拠とした。
 そして、贈賄容疑の古関証人に執行猶予、収賄容疑の村上先生に、実刑判決を下した。
 司法が、三権分立と憲法を蹂躙してまで、村上先生を有罪とした根拠は何であろうか。
 歪んだ日本の司法を正してゆくうえで、避けることができない、重大なテーマである。
 村上先生のお留守中、月刊日本・南丘喜八編集長と評論家・佐藤優氏を中心に、支持者が勉強会をかさねながら、帰還を待った。
 収監直前の村上正邦先生、平沼赳夫・西村真吾両議員が参加された第一回奈良吉野から、先生がおられる喜連川社会復帰促進センター近くのさくら市「かんぽの宿」まで、泊り込みの勉強会も三度におよんだ。
 喜連川の勉強会は、昨年九月末で、風はもう秋であった。
 その折り、手帳に、上の句を書きこんだ。
 あれから、一年がたち、ようやく、村上先生が帰ってこられる。
 折りしも、自民党が下野して、保守政治が危機に瀕している。
 村上先生には、休むまもなく、政界のために、粉骨砕身していただかねばならない。

 海風の 肌にやさしき 晩夏かな

 陸地と海洋を比べると、陸地の方が、温度の変化が大きい。
 そのせいで、冬は、冷たい内陸から暖かい海洋へ山風が吹き、夏は、逆に、熱い陸地へ海風が吹きこんでくる。
 もっとも、夏の海風は、木枯らしとなる冬の山風に比べて、勢力が弱い。
 それでも、海辺では、そよそよと、気持ちよい南風が吹く。
 その風がとまると、やがて、秋である。
 海風に、しばし、夏の名残りを惜しむのである。

 コスモスの 花絨毯や 昭和陵

 昭和陵は、東京都八王子市にある昭和天皇の御陵(武蔵野陵/むさしののみささぎ)のことで、同天皇陵には、武蔵野東陵(香淳皇后の御陵)のほか、多摩陵(大正天皇の御陵)、多摩東陵(貞明皇后の御陵)もおかれている。
 甲州街道から武蔵野陵へむかう参道は、みごとなケヤキ並木で、北山杉が植えられた陵墓地内も、荘厳な雰囲気にみちている。
 昭和陵へお参りした折、群生するコスモスをみかけた。
 コスモスは、秋桜と書き、秋に、桃色や白、赤などの花を咲かせる。
 明治の半ばに渡来した外来種だが、風にゆれる淡い花は、もはや、日本の風情である。

 夾竹桃 花散り落ちて 夏が往き

 葉が竹に、花が桃に似ているところから、その名がついた夾竹桃も、江戸時代の中期に、インドから中国を経て渡来した外来種である。
 夏に咲く花で、ピンク、黄色、白など多くの園芸品種がある。
 意外なことに、つよい毒性があり、そのせいか、公害にもつよい。
 神奈川県川崎市など、郊外で他の樹木が枯れてしまった都市の緑化樹として広く植栽されているほか、高速道路の緑地ゾーンにもよく見られる。
 夏のあいだ、通勤の車から見えていた街路の夾竹桃が、この数日で、散り落ちた。
 毎年のことなので、花のない夾竹桃を見て、夏が去ったことを知るのである。
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2009年08月24日

 夏の終わりの総選挙

 蝉しぐれ 短きいのちの カーニバル
 
 新聞の一面トップに「 民主300議席を越す勢い 」という見出しが躍っている。
 リード文に「小選挙区選に271人を擁立した民主党は全体の七割強を占める200人弱が当選有力、40前後が当落線上で優位に立っている 」とある。
 比例区でも、民主党は、前回衆議院選で自民党が獲得した七七議席を上回って、八〇議席にのる勢いである。
 一方、自民党は、このままでは、選挙区で一〇〇議席を割り込み、比例区でも五〇議席台にとどまりそうだ。
 自民党のこの凋落は、かならずしも、民主党躍進によるものではない。
 国民が、小泉の郵政民営化や弱者切り捨ての新自由主義を嫌ったのだ。
 わたしは、国体破壊の思想をもつ民主党も、小泉にぶっ壊された自民党も、支持しない。
 というわけで、今回、東京ブロックから中村慶一郎氏が立っている国民新党の応援に駆りだされた。
 連日、党の広報カーに乗って、思うところをのべさせてもらっているが、次第に声が嗄れてきて、歯がゆい思いである。
 都内を回って気づいたのは、どんな小さな公園でも、蝉が鳴いていることだ。
 そのけなげさに、感じ入る。
 投票日の8月31日で、長かった今年の夏も終わる。
 当日、蝉は、まだ、鳴いているだろうか。

 初盆や 精霊蜻蛉 肩に舞う

 トンボ(蜻蛉)は、亡くなったひとの精霊という伝承がある。
 そこから、お盆のころにあらわれるトンボを精霊蜻蛉と書いて、秋の季語とするようになった。
 若い頃から、自民党にかかわって、推薦をうけて衆議院に立候補した経験もあるわたしは、大野伴睦ほか、多くの保守系政治家と交わってきた。
 多くが、物故して、すでに久しい。
 かれらが生きていたら、いまの自民党の凋落を、何と思うだろう。
 目の前をとおりすぎていった精霊蜻蛉が、ぽつりと、わたしの何かつぶやいたような気がする。

 トンボ舞う 稲穂に波の 風にのり

 最近は、数匹、みかけるだけのトンボも、子どもの頃は、野を群舞していた。
 畦道から見ると、稲穂の上を数え切れないトンボが舞い、田や小川には、メダカやザリガニ、ゲンゴローが遊んでいた。
 そんなところに、かならずあったのが、ポストと郵便局だった。
 明治以降、日本が地方格差というハンデをひきずらずに、近代化を実現できたのは、日本中に、郵便局があったからである。
 自民党が、その郵便文化を破壊して、民という私物へ貶めた。
 民主党もイヤだが、郵便文化を破壊した自民党にもアイソが尽きた。
 選挙戦も終盤にかかり、民主党優勢の流れがいっそうつよくなった。
 政治を変えようという耳に快いスローガンが、そのまま民主支持へつながっている。 
 守旧派を打倒した小泉、変革を叫んだ細川・羽田政権。そして、政治を変えようとうったえた鳩山政権――。
 政治が変革をもとめるたび、世の中は、悪くなる。
 現実をささえているのは、変化ではなく、郵便ポストのような不変の価値だからである。

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2009年08月13日

 三宅島は伝説の島

 なつかしき 人も輪に入る 盆踊り

 わたしの故郷、三宅島では、2000年の噴火によって、全島民が島外へ避難を余儀なくされた。
 有害ガス噴出が局地的になって、2005年に避難指示が解除されたものの、いまなお、島の半分が立ち入り禁止で、観光客をふくめた島の滞在者全員に、脱硫マスクの携帯が義務付けられている。
 八月の初旬から一週間、帰島して、10年ぶりに復活した夏祭りを見物してきた。
 正式には、富賀神社大祭といい、祭神は、事代主命(ことしろぬしのみこと)である。
 この神さまは、島名の由来とされている。
 事代主命は、父である大国主命とともに、出雲国から紀伊国、さらに、三宅島に渡って、漁業や農業をつたえ、島の基盤を築いたという。
 三宅は、宮家で、事代主命の御家である。
 富賀神社の御本殿地下は、事代主神の御陵で、古墳時代の土器や勾玉、耳飾りなどが発掘され、大切に保存されている。
 富賀神社大祭は、地方には珍しい由緒正しいお祭りで、期間中、お神輿の巡行や引き渡しの儀式、盆踊りの奉納などがおこなわれる。
 盆踊りの輪のなかに、懐かしい顔が、みつかった。
 少年時代、肩を組んで遊んだ友、青年・壮年時代、一緒に政治運動をおこなった同志が、好々爺になって、十年ぶりに復活した夏祭りをたのしんでいるのである。

 迎え火や 父母亡き里へ 帰省かな

 迎え火は、お供えをして、父母の御霊が家へ帰ってくるのを迎える。
 迎えるじぶんも、久々の帰省だ。
 学生時代、帰省のたび、母が料理をつくって、迎えたくれたものである。
 故郷が、父母亡き里となって、何年たったものか。

 門火焚き 蝉時雨れて 魂迎え

 送り火を 焚きて門辺の 魂送り


 台風の影響で、滞在中はぐずついた天気で、祭りも盆も、雨まじりだった。
 雨が止むと、こんどは、夏空の下、にぎやかな蝉時雨である。
 急変する空模様のなか、門火を焚いて、魂をお迎えし、門辺で、送り火をして、魂をお送りした。
 わたしにとって、三宅島は、いまも、伝説の島である。
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2009年07月27日

 梅雨明けと荒れる日本列島

 なすを切る ハサミの音や 梅雨のあけ

 関東甲信地方は、平年より6日早く、今月14日に梅雨明けした。
 ところが、梅雨前線は、その後も居座って、天気は、全国的に、荒れ模様となった。
 低気圧が通過した北海道・大雪山系では、10人が遭難死、中国・九州でも、連日、土砂降りの雨がつづいて、大きいな被害をだした。
 中国東北部に気圧の谷が居座っているため、南方から湿った空気がはいりこんできて、日本列島に、嵐や大雨をもたらしているらしい。
 というわけで、関東を除く九州以北では、いまだ、梅雨明け宣言がだされていない。
 梅雨が明けると、庭の野菜畑で、なすが食べごろになる。
 とげのあるヘタをつまんで、ハサミを使う。
 夏の空の下で、ハサミが、パチン、パチンと鳴るのである。

 海霧や 晴れて一船 波間かな

 わたしの故郷、三宅島では、この時期、海霧が発生する。
 あたたかく、しめった空気が、海面で冷やされるために生じる霧で、かいむでははく、うみぎりである。
 夏に、北海道の沖合いで生じる濃い海霧は、地元で「ガス」とよばれる。
 つめたい親潮の海に、高温多湿の南風がふきこむためにできるが、夏のはじめ、太平洋で生じるうみぎりは、北海道のガスにくらべると淡い。
 その淡い海霧が、一瞬、晴れて、波間に船影があらわれる。
 三宅島の海で育ったわたしの、原光景の一つである。

 梅雨晴間 いっときの間の 日傘かな

 荒れ模様だった天気も、今日は、晴れて、蒸し暑かった。
 空にうかんだ雲も、夏雲で、町には、日傘が目立った。
 日傘は、夏の風物で、顔の見えない日傘の女性は、どこか、謎っぽい。
 むろん、夏の季語で、砂日傘は、ビーチパラソルのことである。
 夕刻、灰色の雲がはりだしてきて、とうとう、降りだしてきた。
 梅雨明けが、後日、訂正されることも、まれではない。
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2009年06月18日

 俳句の叙情と叙事

 梅雨晴間 いっときのまの 茜雲

 俳句や短歌には、心のうごきを詠む叙情と、自然のすがたを詠む叙事の二通りがあるように思う。
 心のうごきといっても、自然をながめて生じたものであろうし、自然のすがたを詠むといっても、そこに、心のうごきがはたらいている。
 結局、同じことかもしれないが、わたしは、自然を点描したような句がすきである。
 絵心があったら、スケッチブックに描いてみたい自然の風物を、句にして、残しておきたいのである。
 スケッチブックに絵として残すことができなくとも、句として残せば、その光景が、ありありと目にうかんでくる。
 わたしにとって、句集は、スケッチブックでもある。
 日中、降っていた雨が上がった夕方、何気なく見た空に、夕焼け雲がうかんでいる。
 それだけのことだが、思わず、目を奪われていた。
 
 新緑や つらなる裾に 家二軒 
 
 裾(すそ)は山の麓(ふもと)である。
 新緑におおわれた山の麓に、家が二軒、並んでいる。
 それだけの遠景だが、目にとまった。
 むろん、印象に残っているのは、鮮やかな新緑である。

 いもの葉に 溜りて遊ぶ 朝の露

 水滴が、葉の上でまるくなるのは、水の表面張力と葉に水をはじく性質があるためである。
 よく見ると、水晶のように、輝いている。
 畑のいもの葉にのったその水晶球が、風がくるたび、葉の上でころころところがり、合体して、落ちる。
 朝日が斜めから射すせいで、たくさんの葉が、まるで、光の粒子をのせているように見えるのである。
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2009年06月12日

 梅雨入りと夏野菜

 あじさいの 色の変わりて 足とまる

 ついりは、つゆいり(梅雨入り)のことで、夏の季語である。
 夏や冬の前に多雨になるのは、寒気と暖気がいれかわるからである。
 雨が降る仕組みは、なかなか、むずかしい。
 低気圧のとき、雨が降りやすいのは、周囲から空気がはいってきて、上昇気流が生じるからという。
 上昇気流が生じると、上空で冷やされた空気中の湿度が水滴にかわって、落ちてくる。
 梅雨は、日本列島で、北の冷たい気団と南の温かい気団が広範囲に接触して生じる。
 北の冷たい空気が下層へもぐりこむため、南の湿った空気が上昇気流となって、雨雲がつくられるのである。

 じゃがいもの 花咲きみだれて 低き雲

 庭の片隅につくった畑にナスとジャガイモ、トマトを植えた。
 五月雨が梅雨にかわる頃、ジャガイモは白、ナスは薄紫、トマトは黄色の花をつける。
 梅雨が明けると、夏の陽射しを浴びて、一日一日、実が大きくなる。
 わが食卓に上がる日を楽しみに、いまは、雨に咲く可憐な花をながめているばかりである。

 きゆうとなき 手にもてあそぶ 茄子かな

梅雨晴間 どこで出会いし 二羽の蝶




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2009年06月04日

吉野で村上正邦先生へ想いを馳せる

 梅雨空や 霞みて遠き 御嶽かな

 御嶽は、吉野金峯山である。
 金峯山は、古代から、吉野・大峯山系とともに、山岳信仰の聖地で、和歌山県の高野山と熊野三山の霊場をむすぶ世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部である。
 雨空の下に霞む霊山は、いかにも、荘重である。
 吉野へでかけたのは、第二回の「吉野勉強会(5月29日〜31日)」へ出席するためである。 
 この会は、もともと、村上正邦元労相が主宰する「日本再生/一滴の会」の勉強会である。
 だが、村上先生が冤罪で収監されたため、南丘喜八郎氏(「月刊日本」主幹)が支持者に呼びかけておこなっているもので、作家の佐藤優氏が、講師をつとめる。
 昨春、村上先生の収監直前におこなわれた第一回吉野勉強会では、講師陣に、佐藤氏のほか、津本陽、岩見隆夫、中村慶一郎ら各氏がくわわり、平沼赳夫氏、西村真吾氏もかけつけた。
 
 村上先生が受託収賄罪に問われた「KSD事件」は、自民党の代表質問(職務行為)を個人の行為とみなした錯誤による冤罪で、有罪の根拠も、公判で「はやく釈放されたかったので、検察に迫られて、ウソをいった」と撤回したKSDの古関忠男元理事長の証言だけである。
 しかも、村上先生は、KSDからの献金を全額、返却している。
 でたらめな司法が最終権力として君臨するところに、この国の闇がある。
 支持者は、慙愧の思いで収監された村上先生の帰還と再起を願って、勉強会をつづけている。
 
 吉野の勉強会は二回目だが、合宿の勉強会としては、三回目である。
 二回目は、昨秋、村上先生がおられる「喜連川社会復帰促進センター」のそばでおこなわれ、その足で、有志がお見舞いと激励に伺った。

 紅葉の 燃え焦がれたる 木連れ川 
   想い届けよ 獄窓の師に


 三回目となった今回の吉野勉強は、梅や桜が終わった五月で、閑散としていた。

 雲垂れて 草木も静か 梅雨に入る

 いまでは、気象庁が「梅雨入り宣言」をおこなうが、昔は、五月末から七月にかけてふり降りつづく雨が、梅雨である。
 いまにも降りだしそうな路傍で、蛙をみつけた。

 梅雨空や 夫婦蛙の 語り合い

 わたしの故郷三宅島では、五月末から六月の入梅の頃、野や山で、紫陽花が咲き競う。
 ところが、吉野の紫陽花は、標高の高いせいか、まだ、硬いつぼみである。
 旅館の主にたずねると、吉野の紫陽花は、梅雨入りではなく、梅雨が盛りの六月半ばから末にかけて咲くという。

 吉野山 梅雨盛りて 四葩かな

 四葩(よひら)は、花弁が四枚ある紫陽花の別名で、読みの音がきれいなところから、俳句の季語になっている。
 原種の額紫陽花は、球状ではないので、四枚の花弁が、この花の特徴だったのであろう。

 第三回目の吉野勉強会は、帰ってこられた村上先生の歓迎と激励の集いとなるはずである。
 
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2009年06月02日

 雨に咲く花

 弘前や 小雨つめたき 残花かな
 
 地下資源が乏しい日本には、その代わりに、ゆたかな国土がある。
 春夏秋冬のほか、南北に長いため、亜寒帯、温帯、亜熱帯という三つの気候帯があり、国土の80パーセント以上が、高地性の森林におおわれている。
 世界で五番目に長い海岸線をもち、美しい河川にも恵まれ、山岳には温泉地や景勝地も多い。
 日本人は、機能的な都会に住みながら、同時に、大いなる自然に抱かれているのである。
 変化とバラエティに富んだ自然の国、日本には、草花の数も多い。
 季語帖をながめると、おびただしい草花の種類に圧倒される。
 花鳥風月を愛する日本人の感性は、恵まれた国土からの贈り物であろうか。
 五月の弘前で、関東ではとっくに散った桜をながめる。
 折りしもの雨は、さみだれ(五月雨)である。
 五月は皐月、皐水垂れで、北国のさみだれは、すこし冷たい。
 六月になれば、沖縄九州では、入梅である。
 津軽平野は遅い春で、南の島は初夏。
 日本は、海洋国家ではあるが、けっして、小さな島国ではない。

 藤棚や 花の小瀑布の しぶきかな

 ゴルフ場で見かけた、藤棚から垂れて、地を這う藤の花――。
 一房に、いったい、どのくらいの花をつけているのであろうか。
 淡い薄紫を藤むらさきという。
 遠くから見ると、その藤むらさきのしだれぶりが、滝のしぶきのように見える。
 
 とおり雨 見知らぬ人と 藤の棚

 藤棚の下のベンチに腰をおろすと、かすかに、花香がただよう。
 その香に誘われて、蜂がやってきた。
 藤棚は、なかなかの建造物で、天井が格子に組まれている。
 藤というたおやかな植物を、ここまでみごとに演出するのが、日本人の美意識である。
 
 さみだれや 額紫陽花の 小宇宙

 さみだれ(五月雨)から六月の梅雨へ、雨の様相が、移りかわってゆく。
 五月雨式は、物事が途切れながらだらだらとつづくことで、さみだれも、途中、晴れ間がはいる。
 額紫陽花(ガクアジサイ)は、この時期の花で、周辺の小さな花びら(装飾花)が額縁のように見える。
 球状の紫陽花(セイヨウアジサイ)は、日本原産の額紫陽花を改良した品種で、園芸品種には、装飾花が八重になったものもある。

 白き花 やがて紫 七変化

 梅雨に似合う紫陽花は、入梅の頃から梅雨明けまで、咲きつづける。
 そのかん、花の色が白から淡い青、薄紫へ変わり、咲き終わりに近づくにつれて赤みがかかってくる。
 土壌や補助色素のはたらきらしい。
 梅雨のあいだ咲きつづけるので、見るひとを飽きさせないためという話を聞くと、けなげに思えてくる。
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2009年05月07日

 美は幻想にあり  

 花風に 群れてたはむる 蝶のごと

 桜の花を散らすのが花風で、落花は、桜が散ってゆく様子である。
 両方とも、春の季語だが、秋の季題の萩も、萩の花風なので、あながち、春のものといってよいものかどうか。
 ここでは、落花とからめて、桜の花を散らす春の花風としよう。
 桜は、散り際が潔いだけではない。
 散り舞うすがたの美しさも、称えられてきた。
 桜が散ってゆくさまは、幻想的である。
 幻想的な美しさが、日本の美で、リアルすぎる美は、あざといとされる。
 この世のものとは思えない、という言い方がある。
 桜吹雪や飛花(ひか)には、花そのものの美しさをこえた、この世のものとは思えない美がある。

 舞い散りて なお散り果てぬ 風の舞い

 「残花」は、散りきらずに残っている桜で、周囲は葉桜なのに、咲き残っているのが「余花」である。
 桜が散って、名残惜しく思う気持ちを慰めるように、桜の花が、ぽつんと枝についている。
 ざんかということばの響きも美しい。

 咲きおくれ 花吹雪には くははらず

 花時に遅れて咲く桜のことで、残花とも余花とも、ソメイヨシノより遅く咲く八重桜とも、異なる。
 遅咲きの桜すべてをさす晩春の季語で、葉桜ばかりの公園の片隅で、ひっそりと花を咲かせている桜の木があれば、それである。
 里や山裾の桜が終ったあと、山奥や高い尾根や山腹で咲く桜も、遅桜で、下の千本といわれる里の桜が散った五月の連休の頃、やっと満開になる奈良吉野山の奥の千本も遅桜である。
 吉野山の西行庵では、連休中、遅桜が、今を盛りに、咲き誇っていたはずである。

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2009年04月22日

春宵一刻値千金

 ふき味噌や 練りてとどかず 母になほ 

 フキノトウは、春になって、最初にでてくる山菜である。
 雪解けを待たずに、地面から顔を出すフキノトウは、苞につつまれたツボミで、茎が伸び、花が咲き、地下茎でつながっている葉が出てくるのは、そのあとである。
 特有の苦味と風味が春らしい味覚で、ふき味噌は、家庭料理として知られる。
 採ったばかりのフキノトウを熱湯でゆでて水にさらし、みじん切りにして、甘味噌にからめる。
 つくり方は、家々によってちがうので、わが家のふき味噌は、母親の記憶につながる。
 春先、店頭にでてきたフキノトウを見て、つくってみる気になった。
 おふくろの味がなつかしくなったのである。
 だが、舌がおぼえていた昔の味には、遠くおよばない。
 ふきのとうは、あくまでも、ホロ苦いのである。

 立春や 一輪残る 返り花

 帰り花とも書く、返り花は、本来、季節外れの開花で、狂い咲きともいう。
 冬に咲く梅や桜、小春日和の秋に花をつける春の野草などを指すが、わが庭では、冬に一輪、ぽつんと咲くバラである。
 冬といっても、そろそろ、立春で、急ぎ咲きである。
 遅れて咲くのが忘れ花、時節がずれて咲くのが時忘れ、いずれも、とぼけていて、どこかものさびしい。
 老いらくの恋は、冬に咲いた一輪の紅いバラであろうか。
 さびしくもあり、たのしくもあり、おかしくもある。

 西吹きて 東を向くや 藪椿

 春の彼岸の頃、西から吹いてくるあたたかい風は、涅槃西風や彼岸西風ともよばれる。
 元気をくれる風とも、迎えの風とも、悟りを誘う風ともいわれるが、春風駘蕩の春風でもあるので、のんびり、おおらかにかまえたい。
 東風(こち)も春の風だが、時節は、西風(にし)よりはやく、山で吹く雪解け風のイメージである。
 東風が山のものなら、西風には、春が来て、人々が活発にうごきだす下町のかんじがする。
 西と東は、左右や彼岸此岸、硬軟の対照で、合わせて、分別である。
 春の西風が吹いて、寒椿が、東からのぼる陽を向いている。
 おだやかな春の一日が、いま、はじまろうとしている。

 降りつづく 弥生の雨や 山笑う

 雨は、季節によって、表情を変える。
 冬の雨は冷たく、秋の雨は物憂い。夏の雨は豪快で、春の雨はのどかである。
 春は、低気圧と高気圧が交互にやってくるため、天気が変わりやすい。
 春の嵐や春一番のように荒れ模様になるかと思えば、風光る、うららかな日もつづく。
 春雨は濡れて参ろう、というほど弱々しく、あたたかい。
 冬篭りからさめた春の山にとって、春雨は、いのちの恵みである。
 一雨ごと、山の緑は色濃くなってゆく。
 昔の俳人は、これを山笑うと表現して、春の季語となった。
 山眠るは、冬の季語で、これまた、言いえて妙である。
 空が明るい春雨を見て、山が笑っているさまが思いうかぶ。

 目借時 水面の浮きも ゆらゆらと
 
 目借時というのは、蛙の声を聞いていると眠くなるさまで、春眠暁をおぼえずの類である。
 かまい時という言い方もあって、獣や鳥のさかりの時期、抱卵期をいう。
 生命活動が活発になる春の一日は、長い。

 うららかや 日暮れて帰る 子らの声

 その春の日が暮れて間もないのが春の宵で、春宵一刻値千金という詩句もある。
 花の香がただよい、おぼろ月がうかぶ春の宵は、一刻千金に値する
 昼間にぎやかだった楼台や中庭に人影はなく
 夜はひっそりと更けてゆく――
 
 千鳥足 弥生の風や 頬ぬくし

 こんな宵は、つい、杯をかさねてしまう。
 春宵(しゅんよう)は、過ぎてゆく時間が風流で、肴はいらない。
 ついこのあいだまで恋しかった暖もいらない。
 日中温度が25度をこえる日が多くなると、そろそろ、晩春である。

 焚く炭火 火勢も弱し 春火鉢

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2009年04月16日

鳥と季語

 武蔵野の 雲高き空 鳥帰る
   
      忘れるなかれ 雲の路筋
 

 秋に北から来て、春に北へ帰る雁が、音もなく、空を渡ってゆく。
 その空に、大きな雲がうかんでいる。
 L字編隊を組んで、まっすぐ、北をめざすすがたは、まるで、空にかかった雲の路を行くようだ。
 繁殖地に向かう渡り鳥は「行く」ではなく「帰る」である。  
 秋に日本へ渡って来て、春、北の繁殖地に帰る渡り鳥には、雁や鴨、鶴、白鳥などの大型の鳥から鶫(つぐみ)、鶸(ひわ)などの小型の鳥まで、多くの種類がいる。

 鳥帰る 忘るなかれや 雲の路

「忘るなかれや」と呼びかけるのは、迷わずに、北の繁殖地へ着くようにというだけではない。
 秋になったら、忘れずに、日本へ戻っておいで、とたのんでいるのである。
「鳥帰る」や「帰雁(きがん)」は、春の季語だが、形容詞なしの雁は、秋の季語である。
 花鳥風月ということばがあるように、日本人には、鳥を天地自然の風物としてみる美意識がそなわっている。
 その鳥が、季節によって、海をこえて渡ってきたり、帰ったりする。
 冬のあいだ山にいた鳥が、春、里にやってきて、美しい声で囀る。
 春に桜が咲くような、鮮やかな季節感である。
 季語となる鳥のうち、よく知られているものを列記してみよう。
 
 /雉子(きじ)・鶯(うぐいす)・雲雀(ひばり)駒鳥(こまどり)・鷽(うそ)・燕(つばめ)
 / 時鳥(ほととぎす)・郭公(かっこう)・仏法僧(ぶっぽうそう)・木葉木菟(このはづく)・大瑠璃(おおるり)・雷鳥・翡翠(かわせみ)・葭切(よしきり)・水鶏(くいな)
 /・雁(かり)・鵙(もず)・啄木鳥(きつつき)・眼白(めじろ)・頬白(ほおじろ)・山雀(やまがら)・四十雀(しじゅうがら)・鶉(うずら)・鶇(つぐみ)・鵯(ひよどり)・鶸(ひわ)・懸巣鳥(かけす)・鶺鴒(せきれい)・椋鳥(むくどり)・鴫(しぎ)
 /鷹(たか)・鷲(わし)・梟(ふくろう)・寒鴉(かんがらす)・寒雀(かんすずめ)・鳰(かいつぶり)・千鳥(ちどり)・鴨(かも)・鴛鴦(おしどり)

 いわひばり 多夫多妻なり 春の宴 

 鳥の行動が季語になるのは「鳥帰る」だけではない。
 鶯の第一声が初音で、渡り鳥が雲間に隠れるのが、鳥雲に入る。
 孕(はら)み鳥から、鳥交(とりさか)る、というのまである。
 群れで生活しているイワヒバリは、一夫一妻制の他の鳥とはちがって、多夫多彩の乱婚型である。
 奔放のようにみえるが、そうではないことは、雌が抱卵したときにわかる。
 一羽の雌が卵を孵すと、すべての雄が、分け隔てなく、巣に餌を運んでくるのである。
 これなら、高山や岩山という、食糧事情のわるい場所でも、子育てができる。
 孵化したヒナが、やがて、巣立ってゆく。
 巣立ち鳥は、春の季語だが、夏に近い晩春であろう。
 初夏の空にむかって羽ばたく若鳥は初々しい。
 
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