2011年04月11日

 桜三題

 被災地へ 桜前線 近づきぬ

 桜前線が、関東を通過して、東北へむかった。
 被災地でも、やがて、桜が満開になるだろう。
 日本国中に、支援の輪がひろがっているが、政府の被災者救援は、いっこうに捗っていない。
 悲惨な被災地に咲く桜が、なんとも、むなしい。
  
 咲きながら 散るにまかせる 夢一夜


 桜は、咲きながら、散ってゆく。
 潔いとも、はかないともいえるが、人生も、咲きながら散る桜のようなものである。
 競い咲き、いまを盛りの桜も、やがて、春風に散ってゆく。
 よろこびもかなしみも、一夜の夢なのである、
 
 散る花を 見たさに寄りし 風の日に

 満開の桜は、みごとだが、散りゆく桜にも、風情がある。
 散りざまが美しいのは、数ある花のなかで、桜だけである。
 日本人が、桜を愛するのは、春の風に散ってゆくすがたに趣があるからであろう。
 花が散って、やがて、葉桜になるころ、野山や庭園で、いっせいに芽吹きはじまる。
 散る桜に、春のきざしが、みなぎっているのである。
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2011年03月28日

 想い三題

 舞姫や 雪のみやこで 艶に酔う

 二月、厳冬の祇園で、一夜、遊んだ。
 折りしも、雪で、夜の花街にも、白いものが舞っている。
 窓の外が、闇と雪のモノトーンだけに、いっそう、舞妓のすがたが目に艶やかだ。
 夜の雪と舞姫の幻想に、しばし、うつつを忘れたのである。

 面影を 追いて眠れぬ 雪明り

 小さな旅館の窓から、雪明りの町並みが見える。
 眠られぬまま、夜の雪をながめて、若い日々の回想にふける。
 吉田松陰は、已むに已まれぬ大和魂と詠んだ。
 已むは、消えて失くなることで、已まぬとは、いつまでもありつづけることという。
 わたしは、止むに止まれぬで、いつまでも、止まらない。
 愛は、いざしらず、止むに止まれぬのが恋で、大和魂も愛国心も、恋心であろうか。
 面影を追って、一人、独酌の夜である。

 わが庵の 梅は競いて 咲きたれど
   まだ来ぬ文の 待ちて久しき
 

 名残り雪は、春のきざしで、雪の数日後、二月の末に、梅が咲いた。
 約束したでもないのに、梅や桜は咲くが、約束した文は、まだこない。
 二月は、暦の上では、春だが、一年のなかで、いちばん寒く、いちばん、春が待ち遠しい。
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2011年01月07日

 新春二題

 遠近で 殷々と響く 除夜の鐘
 毎年、テレビが、名刹の除夜の鐘を中継する。
 画面には、初詣でに向かう人波も、映し出される。
 年に一度、神社に詣でるのは、祈願か、それとも、禊であろうか。
 窓の外から、近くの寺の鐘の音が、風にのって聞こえてくる。
 こちらは、生の音だが、わが家とは距離があるので、弱々しい。
 一方、テレビの除夜の鐘は、大きく、まるで、そばで聞いているようだ。
 窓の外の鐘の音とテレビの鐘の音を、交互に、聞いているのである。
 

 淋しさや せがれ仏ぞ 初明り
 初明りは、元日の朝、薄暗い空が、ほのぼのと明るくなることで、初日の出の明け初め、東の空にあらわれる曙光である。
 例年、初日の出に夢と希望を託して、初明かりを拝んで、よき年を祈念してきた。
 せがれの逝った今年の初明かりは、なんと淋しく、なんとやるせないことか。
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2010年12月17日

 冬二題

友逝きて ふるさとさらに 遠くなり

 わがふるさと三宅島も、過疎化の例外ではなく、十数年前の噴火による全島避難以後、いっそう、さびれた感がある。
 すでに、両親は亡く、足も遠のきがちだ。
 だが、故郷は、わが心の原点で、いくつになっても、忘れがたい。
 その故郷から、久しく逢っていなかったわが友、幼なじみの訃報が届く。
 そのたび、ふるさとが、ますます、遠のいていく。
 
 
 寒林や 葉音もたてず 風はしる
 
 風は、音によって、かんじられる。
 青葉繁れる時分は、木立をとおり抜けてゆく風が、すずしげな葉音を立てる。
 だが、葉を落とした寒林をとおりすぎる風は、黙って、とおりすぎてゆくだけだ。
 風の季語は、案外、すくない。
 冬の木枯らし、秋の野分(のわき)、夏の南風(はえ)くらいしか思いうかばないが、それでも、春には、春一番や風光る、薫風のほか、東風(こち)、涅槃西風(ねはんにし)、春疾風(はるはやて)がある。
 葉音は、季語ではないが、夏の木立を思わせる。
 風が吹くと、葉がさわいで、木漏れ日が躍る。
 いまは、音もなく、冷たい風がとおりすぎてゆくだけだが、冬木立のこの散歩道も、春になれば、風薫り、夏には、涼やかな葉音を聞かせてくれるだろう。
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2010年10月04日

 猛暑の夏、去りて

 ゆきあいの 雲わき立ちて 夏終わる

 猛暑から、一転して、肌寒い秋がやってきた。
 爽やかな秋晴れをとびこして、とつぜん、晩秋の気配となったのは、猛暑が、九月まで尾をひいたためであろう。
 そのせいか、今年は、ゆきあいの空が、例年より、一か月もずれこんだ。
 ゆきあいは、行合いと書いて、夏の雲と秋の雲が、空で行きあうことで、小さな入道雲の横にいわし雲や羊雲がなびく風情である。
 夏の雲の代表は、積乱雲が上昇気流にのって発達した入道雲で、夕立を降らせる。
 秋の雲は、それよりも高く、ばらばらにちぎれてうかぶので、うろこ雲とも呼ばれる。
 ぽっかりと浮かぶのが春の綿雲で、冬の雲は、低く垂れこめる。
 季節によって、空の表情が変わるのは、雲の形状のせいで、秋は「天高く馬肥ゆる」というように、ちぎれ雲が空高くかかる。
 梅雨のあとに夏がやってくるように、秋の長雨のあと、北風が吹きはじめる。
 その秋の長雨の兆しが、太平洋の高気圧とオホーツク海の冷たい高気圧が張り合う、ゆきあいの雲である。
 梅雨と秋の長雨では、同じ雨雲でも、高度や性質が異なる。
 前者が、低い空にかかる水滴の雲で、後者は、高い空にかかる氷晶である。
 秋雨が冷たいのは、そのせいで、一雨ごと、気温が下がってくる。
 ゆきあいの雲をながめて、公私ともに多忙だった今年の夏が終わったと、実感するのである。


 をちこちに 虫の鳴きらむ 葉月かな
 
 を(お)ちこちは、遠近や彼方此方と書いて、あちらこちらである。
 万葉集にも「――子どもらは泣きらむをちこちに」と詠まれている。
 そこから借りてきて「泣きらむ」ならぬ「鳴きらむ」とした。
 あれ松虫が鳴いている、にはじまる童謡「虫の声」に、秋の虫の声が、こう表現されている。
 松虫「ちんちろ ちんちろ ちんちろりん」
 鈴虫「りんりんりんりん りいんりん」
 こおろぎや(きりぎりす)「きりきりきりきり」 
 くつわ虫「がちゃがちゃ がちゃがちゃ」 
 馬おい「ちょんちょんちょんちょん すいっちょん」
 古典の昔から、こおろぎときりぎりすがとりちがえられているので「きりきり」という擬音になっているが、いまでいうこおろぎなら「コロコロコロコロ リーリー」で、きりぎりすも「ギー チョン ギー チョン」と聞こえる。
 わたしが好きな鈴虫も「りんりん」ではなく、もっと澄んだ「リーン リーン」である。
 葉月は旧暦の八月、新暦の九月下旬から十月上旬にあたる。
 葉月の由来は「葉落ち月」「穂張り月(ほはりづき)」、雁が初めて来る「初来月(はつきづき)」、南方からの台風がやってくる「南風月(はえづき)」など諸説あって、定説がない。
 をちこちと同様、表音言語のやまとことばで、語源などないのかもしれない。
 日本語は、やまとことば(表音)と漢字(表意)の組み合わせで、世界一、難しい言語といわれる。
 その分、表現能力が高く、それにそって、情緒もゆたかになったといわれる。
 世界で、虫の声をたのしむ民族は、日本人だけである。
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2010年08月23日

 蝉しぐれ三題

新盆や 想ひ新たに 墓参かな

 お盆は、仏教の盂蘭盆と故人に供物する民間習俗(中元節)、神道における祖霊信仰が一体化したもので、起源は、江戸幕府が、民間習俗や神事を仏教式におこなうように強制した檀家制度である。
 先祖供養は、カルマ(業)の仏教ではなく、死者がカミになる神道にもとづくもので、中元節も同様である。
 日本人の道徳観念や伝統を重んじる気風は、死者をカミとする祖霊信仰にはぐくまれたといってよいだろう。
 新盆は、ひとが亡くなって、初めて迎えるお盆で、とくに厚く供養する。
 身内を失ったかなしみは深いが、神道において、新盆は、この世の役割を終えた故人が、神々の住まう世界へ帰って、この世の守護神となる神葬祭の一環なので、悲嘆にくれてばかりはいられない。
 墓に参って、この世に残っているわが役割を思うのである。

 いつのまに 街の風情や 蝉しぐれ

 蝉の合唱には、いくつか、異なった声が混じっている。
 ジージー、ジリジリと聞こえるのがアブラ蝉で、ミーンミンミンミンミーと聞こえるのは、ミンミン蝉と見当がつくが、ほかにも、異なった鳴き声が聞こえてくる。
 それが、経のように耳に響くのは、墓参の帰路だからだろうか。
 蝉しぐれの夏木立にしばし目をやる。
 それが、この世の華やいだ景色に見えるのである。

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2010年07月30日

 過ぎ去りし日々

 毎歳忌 鉄舟肴に 夏馳走

 七月十九日、谷中全生庵で、山岡鉄舟の法要毎歳忌がおこなわれた。
 法要ののち、六代目宝井馬琴による「咸臨丸事件」にまつわる講談を聞いた。
 勝海舟・西郷隆盛会談の下地をつくって、江戸を戦火からまもり、維新後、侍従、宮内少輔などを歴任した山岡鉄舟の最大のエピソードは、講談にあったように、清水次郎長との友情であろう。
 新政府軍が会津若松城を包囲攻撃中だった明治元年八月、咸臨丸が、箱館をめざす幕臣たちを乗せて、清水港にはいってきた。
 このとき、駿府藩幹事役だった鉄舟は、反乱軍となった咸臨丸の幕臣たちに降伏を説いた。
 だが、埒が明かない。
 一か月後、清水港に攻め入ってきた新政府軍の三艦が、咸臨丸を砲撃の上、艦に残っていた副艦長春山弁蔵ら七人を斬殺、咸臨丸は、品川まで曳航された。
 七人の死体は、海中に投げ棄てられたまま、手をつける者がだれもいない。
 新政府から「賊軍に加担する者は断罪に処す」というお触れがでていたからだった。
 このとき、清水次郎長が「死ねば仏だ。仏に官軍も賊軍もあるものか」と、七人を向島の松の木の根もとに手厚く葬った。
 以後、鉄舟と次郎長との交わりは、鉄舟の亡くなる明治21年までつづいたという。

 また一人 友去り逝きて わが齢
   指折り数える 夜半無情(かなし)


 近代日本の黎明となった明治維新について、肯定的な見解が多いのは、現代日本のスタート地点だったからであろう。
 だが、このときおこった内戦(=戊辰戦争)は、268年前の関が原合戦で負けた西軍の東軍にたいする遺書返しの様相があり、天皇親政を立てて官軍を名乗った薩長の戦略も、本来の国体にそったものではなかった。
 天皇と日本の歴史をじっくり再検討してみたい。
 だが、残された時間には、おのずと限りがある。
 折りしも、心の痛む訃報が届いた。
 夜半、ふと、過ぎ去った日々のはやさとわが齢を思ったのである。
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2010年07月26日

 蝉時雨三題

 蝉時雨 ただひつそりと 七士の碑

 蝉時雨(せみしぐれ)は、一斉に鳴き立てる蝉の声を、時雨(通り雨)に見立てた夏の季語である。
 時雨は、秋から冬にかけて、降ったり止んだりする雨のことで、本来、冬の季語である。
 初冬の時雨を夏の蝉にひっかけたのは、一斉に鳴く蝉の声が、通り雨のように聞こえたからであろう。
 思い浮かぶのが芭蕉の名句――
 閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声 
 である。
 空から降ってくるように聞こえる蝉の声が、雨のように岩にしみ入って、それ以外の音は、何一つ聞こえない。
 それを芭蕉は閑(しず)かとかんじたのである。
 ふたたび、伊豆山の興亜観音を訪ねた。
 山中に響く蝉の鳴き声が、まるで、お経の大合唱のように、耳に響いたのである。

 滴りの 音掻き消すや せみ時雨
 
 関東では、時雨を通り雨と解して、かならずしも、秋や冬のものではなくなったが、夏の通り雨は、なんといっても、夕立である。
 夕立をもたらす夏の積乱雲は、上に高くそびえる立体形の雲なので、かぎられた場所にいちどきに大量の雨を降らせる。
 その雨音さえ、せみ時雨の前では、耳に届かない。

 蝉時雨 わびしき心 なほ深く

 芭蕉の侘(わび)寂(さび)は、一言でいうのがむずかしい。
 ともに閑寂なおもむきで、余計なものがとりのぞかれている。
「寂しい」「侘しい」はどうであろうか。
 寂しいは、何かが欠けて、物足りなく、心細いかんじで、侘しいは、これに、困難ややりきれないというニュアンスがくわわる。
 人生には、避けることができない、多くの障害がまちうけている。
 山中のせみ時雨のなかで、ふと、侘しい気持ちに襲われたのである。

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2010年07月02日

 花の色

 わすれ草 明日を知らず 風に咲く

 忘れ草は、萱草(カンゾウ)の別名で、朝咲いた花がその日の夜にしぼむため、その名がある。「忘憂草」などとも呼ばれる。湿った原野に自生するユリ科の多年草で、六月から夏にかけて、黄赤色の花を咲かせる。
 萱草の花色は、黄色味かかったオレンジ色で、萱草色(かぞういろ)という色名がある。
 日本の色には、植物からとったものが多く、ほかに、紅梅色、桃色、桜色、灰桜、柿色、菜の花(なのはな)色、菜種(なたね)色、藤色、竜胆色(りんどういろ)桔梗色(ききょういろ)梅紫(うめむらさき)などあげていけば、きりがない。
 英語では、グリーンやレッドの一言だが、江戸時代、日本人が区別した色数は、数百にのぼるという。
 一日しか咲かない忘れ草が、風に揺れている。
 今日一日のいのちなのに、明るい萱草色なのである。

 雲垂れて なお明るけり 四葩(よひら)かな
 
 梅雨曇の下で、紫陽花(四葩)が、色鮮やかに咲いている。
 雲が垂れこめているので、いっそう、花色が明るくかんじられる。
 陽がさしていたら、ぼんぼりのようなこの明るさは、かえって、失われていたかもしれない。
 アジサイの花色は、赤や青や紫いろいろだが、どの色も、アントシアニンという色素のはたらきで、これに、補助色素とアルミニウムがからんで、花色がきまる。
 根から、アルミニウムが吸収されると、花弁が青くなり、アルミニウムが吸収されなければ、花は赤くなる。
 同じ株で花色が異なるのは、土中にのびた根の先の土壌が異なるからで、七変化と呼ばれる花色の変化は、花自体の酸性度の変化によるものだという。
 紫色のアジサイは、青色と赤色の中間で、場所によって、濃淡が異なる。
 その微妙な色合いが、蛍光色のように、明るいのが、不思議なのである。 

 山清水 はらわたに浸む 夏野かな

 梅雨の間をぬって、山を歩く。
 梅雨時といっても、季節は夏なので、一歩きすると、汗をかく。
 手ですくって飲む冷たい山清水がはらわたに浸みる。
 見上げると、雲間から、太陽が顔をだしている。
 梅雨明けまで、まだ間があるが、夏の気配が、そこまで迫っているのである。
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2010年06月02日

 梅雨入り二題

 梅雨入りや 軒のしたたり 水の琴 

 日本は、地下資源はなくとも、世界一、自然環境に恵まれている。
 他の文明圏から隔絶した特有の文明をつくりえたのも、日本が、特有の気候と風土をもった島国だったからである。
 同じ島国でも、たびたび、異民族の襲来をうけたイギリスに比べて、日本は、周囲を荒海に囲まれていたせいもあって、外敵の脅威にさらされたのは、白村江の戦いと蒙古襲来、黒船がやってきた幕末、太平洋戦争敗戦後と、歴史上、四回しかない。
 日本特有の気候風土が、国土の平和と文化の独自性をまもったのである。
 日本列島は、亜寒帯から亜熱帯へ南北にアメリカ合衆国をこえる長い海岸線をもち、南からの黒潮と対馬海流、北からの親潮にとりまかれている。
 温暖多雨な気候は、国土の70パーセントを占める森林を育成し、森林から流れ出る河川は、肥沃な平野やゆたかな漁場をつくり、山の幸、平野の幸、海の幸をもたらしている。
 桜前線が南から北へ、紅葉前線が北から南へ移動する日本の四季の美しさも、世界に類がない。
 田植えとかさなる梅雨前線も、日本列島を縦断して、夏の訪れを告げる。
 関東には、六月初旬から七月下旬まで、梅雨前線がはりつく。
 毎日、しとしとと降る雨は、細かい霧状で、ぬか雨ともいわれる。
 霧雨の雨落ち(あまだれ)は、間をおいて、のんびりと滴る。
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