2018年02月08日

晩冬3首

【独居老人】
病みし夜や 老いて独居の 侘しさよ
明日の目覚を 神に祈らむ

【春の兆し】
なごり雪 梅の上枝(ほつえ)で 華となり
春の兆しを 告ぐるは嬉しき

【演歌】
なつかしき 昭和演歌が 聞こえ来る
すぎし青春 心に温(ぬく)し


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2017年11月07日

秋の六首

【故里】
父母(ちちはは)の 縁(えにし)あるひと また逝きて
  故里なほも 遠くなりけり

【秋】
むさしのの 夕空そめる 茜ぐも
  候鳥(こちょう)去り行き 秋深くなり

【青春のマドンナ逝く】
青春の 淡き想いの マドンナが
  逝きしと聞きし 夜半は寂しき

【金木犀】
庭前の 金木犀の 花の香に
  歩みをとめて 微笑みし女(ひと)あり 

【靖国神社】(戦後七十年)
杖つきて 参道歩む 老い人の
  背に負いたるは 過ぎし時かも

【秋紅葉】
彩づきて 萌え盛りたる 紅葉が
  初木枯らしに 散りゆきて舞う



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2017年07月28日

初夏7首

【八十路にて友逝く】
うつし世の 定めなりやと 思ひしも
 君の訃報を 聞くは寂しき

【老梅】
庭前の こけのむしたる 老梅の
 こずえに春の きざしをみたり

【井の頭の池 三十数年ぶりに掻掘を行う】
かい掘りで 水澄み渡る 井の頭
 上弦の月 水面に揺るる

【靖国祈り】
神前で ぬかずきたりた 老いびとが
 背でなきたるを 見るは悲しき

【靖国鎮魂】
この杜に ねむりしみたま やすけくは
 すめらみことの 万世のいのり

【天皇の被災地行幸】
大君の 被災地みゆき ありがたき
 かたじけなさに 心ふるえん

【被災地行幸】
ひざを折り 民と語れる 大君の
 おおみごころに なみだおとしむ
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2017年05月17日

短歌四首

(伊豆の山荘にて)
山荘の 木々も芽ぶきて 春装い
鳴くうぐいすの 声澄み渡る

(春浅き日に兄逝く)
法華堂 君が植えたる 桜木の
初花咲くを 見るはさびしき

(東京の桜 開花宣言)
靖国の そめいよしのの 初花が
咲きて都は 開花宣言

(傘寿)
老いたるや 八十路の坂の わが齢(よわい) 
父を越えたり 母をも越えんや
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短歌十二首

(闘病一)
まなうらに 浮かびて消えぬ 逝きし友
病んで伏せたる しずけき夜半よ

(闘病二)
看護師の 脈をとる手の 温もりで
病みたる吾れの 心和(なご)みぬ

(傘寿)
老いたりて 迎える今朝(けさ)は 嬉しかり
明日も生きたし そのまたあすも

(浜千鳥)
夕凪の 波音(はおと)寂(しず)けき 伊豆の海
夕日に染まりて 浜千鳥舞う

(神田川 春)
水ゆるみ 瀬音やさしき 神田川
岸辺に青き 若草萌ゆる

(春)
庭前の 梅の梢に 花咲きて
うぐいす鳴くは のどかなりけり

(北国)
北国の 訛りはどこか あたたかき
吹雪きた夜に 囲炉裏かこんで

(追憶)
ふと想う 君と歩んだ ふるさとの
わすれなぐさの 咲きたる小道

(輪廻転生)
迎え火や 祖霊を迎えた 庭前に
輪廻転生 蝶の群舞ふ

(尊王)
尊王を あつく敬う わが想い
ただやみくもの 恋慕に似たり

(靖国)
靖国の 英霊称えん 鎮守の杜の
すめらみことの 大御の祈り

(祈り)
畏(かしこ)くも 民安かれと 祈る大君(きみ)
その御心が 国体なりや
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2017年02月11日

 短歌三首

冴えかえり 淡雪溶ける 庭前の
梅のこずえに 春は宿りぬ

愛(かな)しぶて なおも恋しき 絵島さま
生島の叫び 波間に聞こゆ
(絵島生島の悲恋/大奥の絵島は高遠、歌舞伎役者の生島は三宅島に流罪)
 
卒業の 記念写真の その笑顔
幾歳すぎても 君はマドンナ
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2016年11月15日

短歌集

すめらみこと

民のさち 国の弥栄 すめらぎが 
皇祖(かみ)に祈れる 葦原の国

民のさち 神に祈れる すめらぎを 
神にみたてて 永久の国体

すめらぎは 民の竈に 思い馳せ 
政事(まつり)の者は その威を畏る

人の世の 徳にはあらぬ すめらぎの 
貴きものは 万世の祈り

民のさち 祈るすめらぎ 二千年 
恋慕に似たり 君への思ひ

降る雪や 静寂厳 このやしろ 
高天原へ 白き神籬(ひもろび)

神々が 天地(あめつち)ひらき 尊らが 
国土をつくりし 葦原の国 

君が代の 君は我が君 いにしへは 
恋しきひとを さしても言へり

コスモスの 花絨毯や 武蔵陵 
すめらみことよ 千代に八千代に

君臣が 一つとなりて 栄えたる 
大和島根に 在わすよろこび

八十路なる この身ははてて 朽ちるとも
すめらみことよ 千代に八千代に

憂国

敷島の やまとおのこを 祀る杜 
すめらみことの こぬはかなしき

老いゆきて すめらみことの 退位をば 
しずかに聴くも ただただ寂ぶし

御國と 赤子(たみ)を思ふ 大御言 
君の御心 民に知らしむ

いにしえに みかどが在わせし 吉野山 
さくら競いて 儚き栄華

うたかたの うつしこの世を いかにせむ
すめらみことの 道は一すじ

戦犯と 呼ばれし七士の 隠れ墓 
訪なふ人の なきぞかなしき

竜aと 云う大丈夫が たずねきて 
われら語りぬ 国を憂いて

友在わす まほろばの里 たずねゆき
酒をぬくめて 譲位をかたる

四季と自然

いにしへの 人も詠みたる 梅の花 
咲きたる庭に 競う花なく

わが庵の いま盛りなり 梅の花 
春告ぐ鳥の 声と競えよ

武蔵野の 雲高き空 鳥帰る 
忘れるなかれ 雲の路筋

紅葉の 燃え焦がれたる 木連れ川
想い届けよ 獄窓の師に

紅白の 梅の小枝の いろづきて 
春告げ鳥の 鳴くを待ちわぶ

萌えいずる 水草の間を 流れ行く 
せせらぎの音 春の琴歌

さつき空 垣根の薔薇を 揺らす風 
この香をはこべ あの窓辺まで

わが庵の 梅は競いて 咲きたれど
春告鳥を 待ちてひさしき

かっこうの ひねもす鳴くや 木曽の道 
苔むすしるべ 君棲むところ 

神田川 水辺で遊ぶ 子等の背に 
よわきこもれび 秋はしのびぬ

せせらぎの 音をかき消す せみしぐれ 
神田川の 夏のおわりに

あかあかと 迎え火たきて 子等は待つ 
見えぬ祖霊に 手を合わせつつ

さむざむと たださむざむと さざれたつ 
湖面に浮かび 流れゆく月

一片(ひら)が 肩をたたきて 秋はゆく 
武蔵野宮の 木々もいろづき

子等遊ぶ 流れ優しき 神田川 
やんまが一尾 秋を告げ飛ぶ 

初雪や 上枝(ほつえ)で華と なりにけり 
水面さざれて 冬鳥遊ぶ

いにしえに 家康が汲みし 茶の水は 
いまもやさしく せおとをたてて

渓流の 漱に立つ泡の 消えゆくを 
しずかに見てり 秋あさき日に

こもれびを 背にして歩む 古き道 
いにしえ人の 足の音きこゆ

わが庭の 梢にとまりて ホロホロと 
山鳥なくを 聞くは侘しき

ホロホロと 山鳥なきて 武蔵野の
木々は彩づき 秋を装いぬ

秋なれや かなたこなたに 鈴虫のこえ 
長月の夜半 なぜか寂(しず)けき

君と往く なもなき小径は たのしかり
山鳥なきて(寂かに暮れる

いつくしき 武蔵野の空に ひとひらの
雲なかるるは のどかなりけり

むさしのの 空にたなびく 夕雲は 
あかねに染まり 寂かに暮れり

君と往く なもなき小径 たのしかり
山鳥なきて 寂かに暮れる

いつくしき 武蔵野の空に ひとひらの
雲なかるるは のどかなりけり

晩秋や 庭前の梢 色づきて
鰯雲うく 武蔵野の空

ふるさと

星霜を こえてけなげや ふるさとの 
荒れたる山は 芽吹き忘れぬ

老いてなほ まなうらに宿る ふるさとへ 
いま帰り来て なみだおとしむ

まなかいに うかぶ ふるさと 薄らぎて 
追憶の日々 慕いて かなし

寂ぶしきや 吾が身の内で ありひ人 
逝きてふるさと また遠くなり

ふるさとの 真砂の浜は かなしぶて 
すぎさりし日々 慕いて 恋し

たらちねの 母のつくりし ふきみそを 
真似たる夜半は なぜかわびしき

哀しぶて なほ恋しきや ふるさとを 
目を閉じて想う  夏の終わりに

海原の 彼方に在りし ふるさとに 
眠りし父母を 想うは哀し

吾れ俺と 訛りなつかし 竹芝の
待合室に ふるさとが在る

遠き空 その下にある 古里を
病みたる夜半は なほも恋しき

りんりんと 鈴虫なきて 寂けき夜
父母の眠れる ふる里想う

竹芝の 船着きのりばに 飛び交ひし 
こころに温し ふるさとなまり

吾が胸に 宿るふるさと あたたかき
父の和(なご)みと 母のぬくもり

想い

弁天へ かけたる願の かひもなく 
友は逝きたり 春を待たずに

此岸とは はかなきものと 身に沁むる 
逝きせし友を 偲ぶ夜半こそ

また一人 友去り逝きて わが齢
指折り数える 夜半無情(かなし)

神仏の いずこにありや 大津波
二万幾多の 命はかなし

荒魂の 残せる傷に たちむかふ
わが同胞の 心は一つ

ふるさとの 被災の苦難 のりこえて
東北球児 意気高らかに

まほろばの 熊野古道の けわしきを 
古(いにしえ)人と なりて歩むや

病む床の 窓をゆすぶる 虎落笛 
激しき北風(ならい)止むことしらず

窓をさす 月の光の やわらかき 
鳴く虫の声 冴えわたる夜半よ

この胸の いきどおるおもい いかにせむ 
怒涛となりて 天をつけ

スワンをば 踏みこぎ遊ぶ 親子あり 
子等の歓声(よろこび)聴くもたのしき

賽銭は 一紙半銭 願いは多く 
弁天様は 笑って見てる

いつの日か またあいみむと 別れたる 
友の訃報 聞くはかなしき

老いずきて うつしこの身を ひきづりて 
散りゆくさくら 見るも寂ぶしき

新島の 白き真砂の 砂浜に 
いとしきひとの名 書きてまた消す

旧き家に 縁者つどりて 親しみて
本家分家と 呼び合う温さ

りんりんと なる風鈴の 音を聞きて
逝きし吾が子を 偲びし夜半よ

老いずきて なほよき年をと 祈る吾れ 
百と八つの 鐘のまにまに

ちはやぶる 護国神社の 神々よ 
吾がおたけび 聞こえたまいしか

あがたなる 大人が開きし学び舎で
臣は集りてあつく語りぬ

煙り立つ 三原の山の そのふもと
六十路なかばで 君は眠りぬ
(都会議員 故川島忠一 古里に眠る)
 
さざれ波 海鳥遊ぶ 波浮港
君は眠れり 小高き丘に
(学生時代の友人、松下寧故里に眠る)

足腰の 弱りを愚痴る 君なれど
孫を背負えば たちまち健脚

蟻ん子の 背負いた重荷に くらぶれば
吾が煩悩の 凡下なるかも

煮しめをば 作れば聞こゆ 除夜の鐘
真似たる母の 味にとどかず

ほほえみて またあいみむと ちぎりたる
君の笑顔が 宿りて消えぬ

あきる野に 眠りし吾子の 墓標にも
青き苔むす 吾れも老いしか

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2014年12月04日

 師走3題 

 被災地の 人なき里に 紅葉燃ゆ

 東日本大震災の翌年、元参院議員の村上正邦先生らと被災地を巡った。
 そのときの印象が強烈で、いまでも、大津波の深い爪痕を残す被災地の光景が目に浮かぶ。
原発事故の避難区域までは、足をのばせなかったが、全町避難がつづく福島県浪江町小丸地区の高瀬川渓谷など、かつて、紅葉狩りでにぎわった阿武隈山地の景勝地では、今年も、紅葉がみごとだったという。
 避難区域へ住民がもどれるのは、いつのことになるのだろう。
 
 散り敷きて なほ舞い散りぬ 落葉山

 武蔵野の湧水池から流れ出して、都内を流れる川に、神田川、石神井川、善福寺川の三川がある。
 三川の源流になっている湧水池は、井の頭公園(神田川)、石神井公園(石神井川)、和田堀公園(善福寺川)と、それぞれ、木々がゆたかな公園になっている。
 秋には、紅葉が見られるが、わたしが散歩コースにしている井の頭公園や石神井公園は、都民に親しまれているモミジの隠れた名所で、わたしも、シーズンには、石神井公園まで足を運ぶ。
 紅葉山は、季語で、秋の山道も、落ち葉が舞い散る公園の道も、紅葉山である。
 落ち葉の道を歩き、見上げると、なお、空中で、落ち葉が舞っている。
 秋が、日々、深まってゆくのである。

 慶福を 祈る煩悩 除夜の鐘

 除夜の鐘は108回撞かれる。 
 この108回には諸説あって、人間の煩悩説から、一年間(十二月+二十四節+七十二候)の厄を払うという説、四苦八苦(4×9+8×9)を除くという説まであるが、わたしは、四苦八苦説をとって、毎年、来る年の慶福を祈る。
 108つのうち107回は、旧年のうちに撞き、残りの1回を新年に撞くという。
 107回までが除夜の鐘で、残りの1つが初夜の鐘(そやのかね)になるらしいが、俗説というひともいる。
 除夜は、水に流す文化でもあるだろう。
 新年は、新しい気持ちで迎えたいものである。
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2014年09月29日

 夏から秋へ簾(すだれ)三題

 せみしぐれ 警策の音 ちいさかり
 
 赤坂日枝神社の神殿裏の部屋で、毎週、有志と座禅を組んでいる。
 警策を打つのは、山岡鉄舟が、幕末・明治維新の国事に殉じた人々の菩提を弔うために建てた谷中の名刹、全生庵の和尚で、同寺は、歴代首相がかよった座禅の名門でもある。
 木々に囲まれた赤坂日枝神社は、夏の盛りになると、蝉時雨(せみしぐれ)につつまれる。
 肩に警策を打たれても、耳には、せみの声が響くばかりである。
 夏が去って、日枝神社の空が高くなったが、耳に、まだ、せみの声が残っているのである。

 一垂や 踊りてすぎる 夏嵐
 
 一垂の ゆれてほのかな 秋を知る

 一垂は、日よけのために吊るす簾(すだれ)の数え方で、ひとたれと読む。
 すだれは、竹やヨシなどを編んだ夏の風物詩で、昔は、どこの家にもあったが、最近は、あまり、みかけない。
 簾には、ちょっと、粋な風情があって、編んだヨシをとおして見えるひとのすがたは、どこか、なまめかしい。
 簾を躍らせて、過ぎていったのが、夏の嵐なら、いま、しずかに簾を揺らしているのは、秋の風である。
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2014年04月13日

春浅し三題

 ひだまりや 三寒四温 窓辺かな 

 今年は、冬の終わりから春先にかけて、寒のきびしい日とゆるんだ日が、交互にやってきた。
 寒い春という長期予報どおり、三寒は、冷え込み、四温といっても、春まだ遠しの感が深かった。
 それでも、窓辺のひだまりには、春の気配が漂っている。
 今年の冬は、いつもより、長かったような気がする。
 陽だまりで、その冬が去ったことを、ようやく、知るのである。

 散る花の しずけき音や 春浅し 

 今年は、盛りに雨が降ったこともあって、あらたまって、花見にでかけなかった。
 気づくと、いつのまにか、花が散りはじめている。
 しずけき音は、花を散らした、春にしては冷たい雨の音だったかもしれない。

 一片を 川面に浮かべて 花終わる

 一片と書いて、音読みは、ひとひらである。
 ひとひらは、小さく、はかないが、深く印象に残る何かである。
 ひとひらの雪、ひとひらの風、そして、一片の花弁は、移り変わる季節を雄弁に物語っている。
 水面に浮かんだひとひらの花弁に、時節の移り変わりを知ったのである。
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