2010年07月02日

 花の色

 わすれ草 明日を知らず 風に咲く

 忘れ草は、萱草(カンゾウ)の別名で、朝咲いた花がその日の夜にしぼむため、その名がある。「忘憂草」などとも呼ばれる。湿った原野に自生するユリ科の多年草で、六月から夏にかけて、黄赤色の花を咲かせる。
 萱草の花色は、黄色味かかったオレンジ色で、萱草色(かぞういろ)という色名がある。
 日本の色には、植物からとったものが多く、ほかに、紅梅色、桃色、桜色、灰桜、柿色、菜の花(なのはな)色、菜種(なたね)色、藤色、竜胆色(りんどういろ)桔梗色(ききょういろ)梅紫(うめむらさき)などあげていけば、きりがない。
 英語では、グリーンやレッドの一言だが、江戸時代、日本人が区別した色数は、数百にのぼるという。
 一日しか咲かない忘れ草が、風に揺れている。
 今日一日のいのちなのに、明るい萱草色なのである。

 雲垂れて なお明るけり 四葩(よひら)かな
 
 梅雨曇の下で、紫陽花(四葩)が、色鮮やかに咲いている。
 雲が垂れこめているので、いっそう、花色が明るくかんじられる。
 陽がさしていたら、ぼんぼりのようなこの明るさは、かえって、失われていたかもしれない。
 アジサイの花色は、赤や青や紫いろいろだが、どの色も、アントシアニンという色素のはたらきで、これに、補助色素とアルミニウムがからんで、花色がきまる。
 根から、アルミニウムが吸収されると、花弁が青くなり、アルミニウムが吸収されなければ、花は赤くなる。
 同じ株で花色が異なるのは、土中にのびた根の先の土壌が異なるからで、七変化と呼ばれる花色の変化は、花自体の酸性度の変化によるものだという。
 紫色のアジサイは、青色と赤色の中間で、場所によって、濃淡が異なる。
 その微妙な色合いが、蛍光色のように、明るいのが、不思議なのである。 

 山清水 はらわたに浸む 夏野かな

 梅雨の間をぬって、山を歩く。
 梅雨時といっても、季節は夏なので、一歩きすると、汗をかく。
 手ですくって飲む冷たい山清水がはらわたに浸みる。
 見上げると、雲間から、太陽が顔をだしている。
 梅雨明けまで、まだ間があるが、夏の気配が、そこまで迫っているのである。
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2010年06月02日

 梅雨入り二題

 梅雨入りや 軒のしたたり 水の琴 

 日本は、地下資源はなくとも、世界一、自然環境に恵まれている。
 他の文明圏から隔絶した特有の文明をつくりえたのも、日本が、特有の気候と風土をもった島国だったからである。
 同じ島国でも、たびたび、異民族の襲来をうけたイギリスに比べて、日本は、周囲を荒海に囲まれていたせいもあって、外敵の脅威にさらされたのは、白村江の戦いと蒙古襲来、黒船がやってきた幕末、太平洋戦争敗戦後と、歴史上、四回しかない。
 日本特有の気候風土が、国土の平和と文化の独自性をまもったのである。
 日本列島は、亜寒帯から亜熱帯へ南北にアメリカ合衆国をこえる長い海岸線をもち、南からの黒潮と対馬海流、北からの親潮にとりまかれている。
 温暖多雨な気候は、国土の70パーセントを占める森林を育成し、森林から流れ出る河川は、肥沃な平野やゆたかな漁場をつくり、山の幸、平野の幸、海の幸をもたらしている。
 桜前線が南から北へ、紅葉前線が北から南へ移動する日本の四季の美しさも、世界に類がない。
 田植えとかさなる梅雨前線も、日本列島を縦断して、夏の訪れを告げる。
 関東には、六月初旬から七月下旬まで、梅雨前線がはりつく。
 毎日、しとしとと降る雨は、細かい霧状で、ぬか雨ともいわれる。
 霧雨の雨落ち(あまだれ)は、間をおいて、のんびりと滴る。
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2010年05月26日

 井の頭・弁天堂

 大願や 一紙半銭 神だのみ

 休みの日には、井の頭公園と公園の池から流れでる神田川沿いの道を歩く。
 コースは、吉祥寺駅から井の頭駅→三鷹台駅→久我山駅の往復六kmに自宅から駅までの往復約2kmと井の頭の池を一周する1、3kmをくわえた10km弱で、二時間ほどかける。
 途中、池のそばに立つ弁天(弁才天)堂へ参拝する。 
「才」が「財」につうじることから「弁財天」とも書かれる弁才天は、もともと、ヒンドゥー教の水の女神で、のちに仏教や神道、民間信仰と習合して、現在は、七福神の一柱として知られる。
 お参りのとき、ポケットの小銭(一紙半銭)を賽銭箱に納めて、願い事をする。
 神仏が人間にあたえるのが御利益で、神頼みが仏教的な性格なら、御守りは、神道的な考え方である。
 神道の真髄は、浄めで、御守りも、穢れから身をまもることに由来する。
 人間が、過ちを犯すのは、穢れるからで、浄めることによって、過ちからも逃れることができる。
 いかにも、日本的な考え方で、もともとのすがたには、罪がないというのである。
 キリスト教には、原罪という思想があり、儒教も、真実は天にあって、この世は、天に支配されている。
 キリスト教によると、この世をつくったのは、神(創造主)だが、神道では、この世のあらゆるものが、神である。
 物に神が宿る(アニミズム)のではなく、物それ自体が神なので、浄めが必要になる。
 浄めによって、元の神体へもどろうというのである。
 神社に参るのは、身を浄めることなので、本来、願い事をしてはならない。
 弁天様は、身を浄めて下さる神道の神なのであろうか。
 それとも、願い事を聞いて下さる仏教の仏なのであろうか。
 歩きながら、ふと、そんなことが頭にうかぶのである。

 薫風が 肌にやさしき 散歩かな 

 気づかずに 江戸の参道 歩きおる


 井の頭公園の池は、関東有数の湧水の一つで、園内の御殿山遺跡から、縄文時代の竪穴式住居遺跡も出土している。
 大昔、人々は、井の頭の泉のほとりに、集落をつくったのである。
 弁天堂の縁起も古く、伝教大師作の弁財天女像を安置した平安時代中期が起源で、源平合戦の頃、源頼朝が、東国平定を祈願して改築したという。
 鎌倉時代末期、新田義貞と北条泰家がたたかった元弘の乱(後醍醐天皇と鎌倉幕府の戦)の際に焼失したが、その数百年後、江戸幕府三代将軍徳川家光により再建された。
 井の頭の名称は、家光が名づけたもので、堂のそばに、その伝承を記した石碑、当時の商人や歌舞伎役者が寄進した石灯籠、宇賀神像などが残っている。 
 江戸時代、市民の信仰を集めた井の頭・弁才天は、行楽地でもあった。
 史跡として整備されている参道からの入り口に「黒門」と呼ばれる黒い鳥居がある。 
 道標の一つで、四谷、新宿から三鷹市をとおって、井之頭へ至る参道は、徳川幕府から篤く保護されてきたという。
 わたしの散歩道は、江戸時代、庶民がかよった参道と重なり合っていたのでる。
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2010年04月30日

 春二題

 雨だれや 水琴の音 春の宴

 水琴(窟)は、地中に埋めた甕(かめ)に落ちる水滴の反響を楽しむ風流で、日本庭園の装飾の一つである。
 水琴というほどだから、よほどよい音がするのであろう。
 わが家の水琴は、雨だれで、春雨を集めて、屋根から滴っている。
 霧のような春雨で、雲も、鉛色の雨雲ではなく、いまにも薄日がさしてきそうな淡い色だ。
 庭で、萌え出た若芽が、折からの雨をよろこんでいる。
 ながめていると、なにか、賑やかなかんじがする。
 木々や草花が、ひそかに、春の歌をうたっているのだ。
 雨だれの音が、その伴奏のように聞こえる。
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2010年03月30日

 亡き友を偲んで

 ゆらゆらと 陽炎たつ日 野辺送り
 
 春の季語でもある陽炎(かげろう)は、はかなさのたとえに用いられることも多い。
 陽炎の別名、糸遊(いとゆふ)は、平安時代から、和歌に使われてきたことばで、原義は、空中をただよう蜘蛛の糸が、光に屈折してゆらゆらと光って見えるさまである。
 空をただよう蜘蛛の糸は、はかなさの極致で、だからこそ、はかなさの代名詞である陽炎とイメージが重なりあったのであろう。
 昆虫のカゲロウ(蜉蝣)は、羽化後の寿命が短いことで知られる。
 なかには、数時間という短命もいる。
 ひとの命も、考えてみれば、はかない。
 短いという意味ではなく、去ってゆくことが、それ自体、はかない。
 野辺送りは、わたしの子どもの頃の記憶で、葬列に、野良の人々が手を休め、麦藁帽をとって、見送っている。
 遠い記憶が、ゆらゆらとゆれて、かげろうのようだ。

 陽炎の なかを歩みし 遍路かな

 狭義の遍路は、四国遍路のことで、お遍路さんは、空海が開いた八十八か所の寺(札所)を巡拝する。
 四国巡礼が遍路と呼ばれるのは、修行者が、平安時代から、険しい四国の海岸を“歩き修行”の場としてきたからである。
 遍路は、海沿いの道(辺地=へち)のことで、ここが修行の場となったのは、神道でいう「根の国(=仏教でいう彼岸)」が、海のかなたにあると信じられていたからである。
 仏教がはいってきて、浄土と「根の国」が習合して、浄土をめざす辺地修行が、遍路となった。
 したがって、広義の遍路は、聖地をめざす巡礼である。
 人々は、陽炎のようにはかなく、そして、険しいこの世という辺地を歩いて、聖地をめざす。
 多くの先輩、友人は、先に逝ったが、まだ当分、わたしは、はかなく、険しいこの世の辺地を歩きつづけなければならない。
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2010年03月09日

 春は間近に

 日溜りや 将棋をさして 春を待つ

 一年のうち、いちばん寒いのが二月だ。
 暦の上では、春が間近で、一か月もすれば、桜の蕾もふくらむというのに、この冷えこみはどうだろう。
 夜明け前がいちばん暗いといわれる。
 同様に、冬も、終わる寸前がいちばん寒いというわけだが、多分に、気分の問題だろう。
 朝や春が目前なので、いっそう暗く、寒くかんじられるのだ。
 ガラス戸ごしの日溜りで、詰め将棋をたのしむ。
 だが、実際は、背を丸めて、陽のぬくもりや眩さをたのしんでいるのである。

 かげろうの 向こうはのどか 地蔵尊

 陽炎(かげろう)は、地面から立ち上る水蒸気が空気の密度が変化させて、風景がゆらめいてみえる現象で、一応、春の季語だが、冬の末にも見られる。
 春が間近い陽の光にあたった地面のぬくもりと冬の寒気がまじりあって、大気の光の屈折率に微妙な変化が生じるのである。
 かげろうは、蜻蛉(カゲロウ目の昆虫)につうじさせて、はかないもののたとえに用いられるが、わたしには、大気が遊んでいるように見える。
 はかないどころか、愉快な印象で、見ていて、気持ちが明るくなる。
 散歩で、いつも見ている地蔵尊が、すこし動いたような気がして、足をとめた。
 目を凝らすと、ゆらゆらと陽炎が立ち上っている。
 春が、目の前まできていることに、あらためて気づくのである。

 屋根を打つ 音もしずけき 菜種梅雨

 三月にはいって、降る長雨を菜種梅雨という。
 本来、菜の花が咲く頃の長雨なので、時期は、三月の下旬から四月初旬にあたるが、先取りして、雛祭りの時分、しとしと降る雨も、菜種梅雨と呼ぶことにする。
 近年は、地球温暖化のせいか、菜の花の開花が早まっているので、さしつかえないだろう。
 冬の雨と春の雨のちがいは、雨音である。
 冬は、風や雨に、音がある。
 木枯らしはピューピューで、冬の雨はピチャピチャと、いかにも冷たい。
 ところが、春の雨は、音というより、かすかに気配がつたわってくるだけである。
 春一番の強風も、聞こえてくるのは、物が倒れた音くらいなもので、風の音は聞かない。
 夜分、降る雨の音の静けさに、春の訪れを知るのである。

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2010年02月08日

 春のことば

旅の宿 つぼみ寒梅 湯の香り

 先日、夕刻になってから、雪が降りだした。
 朝までには止んで、積雪にはいたらなかったが、夜半までしんしんと降りつづいた。
 この時期に降る雪は、名残り雪で、残雪や雪間(ゆきま)と並んで、雪にちなんだ春のことばである。
 名残り雪は、冬を思わせる春の雪で、残雪は春になっても消えずに残っている雪。
 雪間は、春になって、解けた雪のあいだに地表が見えてくる山里の情景である。
 寒梅は、春の季語で、寒の梅や寒紅梅などとも表される。
 その寒梅が、折からの名残り雪を被って、つぼみなどは、まるで頬かむりをしているようだ。
 きびしい寒さに耐えて、つぼみをつけ、春にさきがけて咲く寒梅には、我慢強さや努力という前向きなイメージがある。
 けれども、わが庭の雪の寒梅は、ただひつそりと、春を待ちわびているだけだ。

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2010年01月26日

 冬の空3題

 一人来て 一人で帰る 寒鴉
 散歩に出て、冬は、空を見上げることが多い。
 夏は涼しげな木陰へ、春は野の新緑へ、秋は落葉の木立へ目がいって、空を見上げることを忘れている。
 野が枯れて、街が寒々しい冬の空は、翳りがあって、案外、表情がゆたかだ。
 青く澄んでいるときも、淡い水色のときも、千切れ雲をうかべているときもあるが、寒々しい地上の風物とからむと、それなりに、冬の風景である。
 枯れ木と寒鴉、冬の空。
 こういう侘しい情景に、わたしは、心を惹かれる。

 冬晴れや 布団たたきの ここかしこ
 冬の晴れた空を小春空や冬晴れという。
 初冬は小春空、冬が深まると冬晴れで、いずれも、冬の季語である。
 冬は、空が青く輝いているのに、太陽の位置が低いので、日差しが弱々しい。
 それでも、冬晴れの下、マンションや公団の住人が、一斉に、布団を乾す。
 乏しい冬の光をもとめる人々の心根がつたわってきて、ほほえましい。

 冬うらら 影を追いつつ 遠くまで
 冬うららは冬麗で、晴れてあたたかい、春のような日和である。
 こんな日に散歩へでると、うららかな日差しに誘われて、つい、足がのびる。
 目にふれる景色に、春の気配は見えないが、何かを追うように、歩きつづける。
 まだ、春は遠いけれど、ひと月もすれば、木の芽がふくらみ、水もぬるんでくる。
 追っていたのは、春の兆しだったか。
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2010年01月20日

井の頭公園の初春

 さざれなみ 立てて雁行 くの字かな
  
 雁は別名「かり」とも称される大型の渡り鳥で、日本へ秋に飛来し、湿原や湾などで冬をすごして、春に北へ帰る。
 一羽が飛び立つと他がそれにならって飛ぶ習慣があり、上空で、雁行と呼ばれるくの字型の編隊をつくる。
 さざれなみ(細波)は「立つ」の掛詞で、いざこざや不和という意味もある。
 春になって、雁が北へ帰ったのちも、日本列島のさざなみは、消えそうにない。
 雁行のくの字が「苦の字」にならなければよいのだが。
 雁(がん・かり)は、カモ目カモ科の水鳥の総称で、鴨(かも)よりも大きく、白鳥よりは小さい。
 日本でもっとも馴染みの深い渡り鳥で、数万羽の真雁が越冬する宮城県では県鳥に指定されている。
 1300年前、聖武天皇が「秋の田の穂田を雁がね暗けくに夜のほどろにも鳴き渡るかも」(万葉集)と詠んでいる。
 馴染みからいって、日本の国鳥といってもよいのではないか。
  
 せせらぎに 耳を澄ませば 春の音
 
 井の頭公園の湧水・茶の水を源流とする神田川の川沿いの歩道を歩くと、せせらぎの音が、春を待つ心をなごませてくれる。
 井の頭公園から流れでた神田川は、善福寺川や妙正寺川、小石川と合流してお茶の水へ下って、秋葉原、浅草橋をへて、隅田川(大川)に注ぐ。
 荒川や隅田川と比べるといたって小さな川だが、江戸市民にとって、神田川は、玉川上水と並んで、飲用水を提供する貴重な川だった。
 江戸以前、平川と呼ばれていたが、江戸の世から、日本初の上水道「神田上水」の源水となったことから神田川と呼ばれるようになった。
 わたしが散歩する井の頭公園からすぐの神田川は、水量が少なく、それだけに、耳を澄ますとせせらぎが聞こえてくる。
 年が明けると、この水音が「春遠からじ」と聞こえてくるのである。



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2010年01月07日

 行く年来る年

 年越して 響き新たや 除夜の鐘

 除夜の鐘は108回撞かれる。108は煩悩の数で、新年を迎えるにあたって、除夜の鐘を聞きながら、煩悩を滅しようというのである。
 大乗仏教には、煩悩を滅して、さとりをひらこうという考えのほかに、煩悩をあるがままの人間の姿として、肯定的にとらえる考え(如来蔵思想)がある。
 両者の葛藤は、案外、大問題で、自由や権利の観念ともからんでくる。
 自由を制限されると息が詰まるが、野放図な自由も困りものだ。
 そんなことを思いながら聞く除夜の鐘も、午前零時を過ぎて、新年を迎えると、とたんに、新しい音色に聞こえてくる。

 また一歩 閻魔に近づく 除夜の鐘

 年越しの 団欒の宴 除夜の鐘

 湧きいずる 茶の水流るや 神田川

 井の頭公園は、わたしの好きな散歩道である。
 公園の一隅に、茶の水といわれる湧き水がある。
 かつて、徳川家康が、武蔵野へ鷹狩りに出かけた折、この湧き水で茶を立てたとつたえられる。
 その由来から、「茶の水」の名がついたこの湧き水は、いまも、滾々と湧き出て、井の頭の池に流れこんでいる。
 それが神田川の源流で、JR御茶ノ水駅の脇をとおって、領国橋で、隅田川と合流している。
 園内は、井の頭池の一角、雑木林と自然文化園のある御殿山、運動施設のある西園、西園の南東にある第二公園の4区域に分かれている。
 江戸時代は、幕府御用林として、その後、宮内省御用林、帝室御料地として、保護されてきた園内の雑木林は、樹種がゆたかで、散歩の目をたのしませてくれる。
 紅葉・黄葉も、みごとで、モミジ、ケヤキ、イチョウなど、樹種の異なる、変化に富んだ葉色が井の頭池の水面に映える風景は、圧巻である。

 己をすてて 浮かぶ瀬もあれ 散黄葉

 わたしは、いさぎよさの象徴のようにいわれる桜の花の散り様と同様、黄葉した銀杏の散り様が好きだ。
 桜の花は美しく咲き、そして散り、やがて実をつけ新しい命を育む。
 だが、銀杏の黄葉は、散ってゆくだけで、桜の花のように、新たな命を育むわけではない。
 みずから散ってゆくのは、冬の寒さにむかう親木の負担を軽減させるためである。
 葉を落として、裸木となった親木は、冬の寒さに耐え抜き、春にふたたび青々とした新芽をつける。
 黄葉も落葉も、みずからを犠牲にすることによって、親木をまもろうとする自然界の摂理で、何十年、何百年も、同じことをくり返して、銀杏は、やがて、大木へ生長する。

 雪花や 御園に舞うや 筵松

 井の頭公園は、春は水面に映える250本の桜、夏は涼風吹きぬけるクヌギやケヤキの散歩道、秋は紅葉・黄葉が都民に親しまれているが、わたしは、冬の井の頭公園にも心を魅かれる。
 冬になると、園内の日本庭園のクロマツにムシロが巻かれ、雪吊りのロープがかけられる。
 最近は、年に一度か二度しか雪が降らないが、銀世界に、雪吊りの松がよく似合う。

 時雨きて 軒下借りる 彼我も

 雪にならないまでも、冷たい冬の雨にそぼ濡れる木々の景色も、捨てがたい。
 時雨は、初冬の通り雨で、このとき、気温が下がって降る雪を、時雨雪と呼ぶ地方もある。

 夜時雨 夜半に雪の 寒さかな

 冬の雨は冷たく、うっとうしい。冷えこんできた夜半、窓の外を見ると、白いものがちらついている。
 いつのまにか、冷たい雨が雪に変わっていたのである。

 小春日や 座布団ぬくし 猫うつら

 命日の陰暦10月12日にちなんで、芭蕉忌を、時雨忌と呼ぶことがある。
 時雨降る陰暦の10月に、小春の異称があるのは、ときどき、春のような暖かい日があるからであろう。
 とくに、うららかな日が小春日で、小春日和ともいう。
 年が明けると、いくら春めいて、あたたかい日でも、小春日とはいわない。
 迎春は、本物の春をまちわびる心である。
 今年は、どんな春がめぐってくるのであろうか。
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